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お誘い【#夏の香りに思いを馳せて】

その女性は背中を向けており、でもその背筋がまっすぐ綺麗に伸びやかな線を描いており、しばらく黙って見つめてしまった。
履歴書を見たら年齢は僕よりひとまわりも上だったので油断していた。
世帯主は彼女で、まだ幼いお子さんが一人。
離婚したのか死別されたのか。


島田さん。
そううわずらないように少し咳払いしながら声をかけると、彼女が慌てて立ち上がりこちらを振り向いた。
姿勢が良い。
そして瞳が大きい。綺麗な二重だ。
睫毛も長く綺麗な目の形を縁取っている。
鼻は低く唇は小さく下唇が厚い。
愛情深い証拠だ。どこかで読んだそんな占いが浮かび少し嬉しくなる。
男は顔の次は胸を見るものだ。
僕はそこまで胸に執着はしないがやはり目がいく。
ロケットのように突き出てもなく、かと言ってまったく膨らみのない板のようでもない。
僕はどちらでもいいのだが、ありすぎてもなさすぎても、というところだ。
島田さんは平均だった。
小ぶりだがちゃんとベストの上からも女性らしい膨らみが形作られている。


今日からこちらでお世話になります。
島田と申します。
至らない点も多々ありますが宜しくお願い致します。
にこおとした笑顔がなんとも可愛い。
そして低くて穏やかな、温かい声。
こんな声をずっと聞いていたいなと思った。



来客があればまず一番に対応するのが島田さんの役目だ。
その数秒で会社の印象が決まるといってもいい。
島田さんは落ち着いた接客でありながら、お子さんには優しくさりげなく声をかけたりして、事務所にほがらかに笑みを浮かべて戻ってくる。
ご新規のお客様です。


僕たちはツーカーだ。
ここでお茶を出してほしいなという絶妙のタイミングでにこやかに出してくれる。
退屈してきたお子さんに興味のありそうなおもちゃを持ってきて一緒にプラレールを作って楽しそうにはしゃいでいる姿はどちらが子供かわからない。



僕は32歳になった。
誰かとつきあっても3ヶ月で飽きてしまう。
長く持って2年が最長だった。
結婚を意識しても僕には覚悟がない。
ずっと一緒にいられる自信がない。
いつか冷めるもの。両親を見ているからわかる。
それなのに。
僕は決めかねていた。
いや、実は決めていたのだが言い出せないだけだった。


戻らないのか。
そう同僚の齋藤に声を掛けられた。
いや、もう少し粘ってみるよ。
頑張るね〜さすが我が社のエースだ!そう揶揄われたが片手を上げるのみにした。
それどころじゃない。
島田さんと二人きりになるのを虎視眈々と狙っていたのだ。
手に汗をかいている。落ち着け。
彼女は使ったカップを洗い終わり、きちんと拭き上げ戸棚にしまい、机に向かい事務処理に入った。


事務所は彼女の打ち込むパソコンのかたかたという音しか聞こえない。
あの。島田さん。
咳払いしながらなんとか声を絞り出す。
手を止め、島田さんが机越しに僕をじっと見つめる。
今度、そこの曙通り沿いに神輿が通るんですよ。ああ、というふうに島田さんが口元をほころばせうなづく。
夏祭りですね。
いいですね。
そしてまた画面に目を落とした。


早く言え。
言うんだ。
あの。それでその神輿、一緒にみませんか。
向こうに花火もあがるんですよ。
この屋上からよく見えるんですよ。
一気に早口にまくし立てる。


花火…
島田さんの顔が曇った。
息子が花火が苦手なんです。
ああ。
僕は恥ずかしくなった。
そうだった。
お子さんがいたんだ。
じゃあ、隣町の七夕祭ならどうですか。
お子さんも一緒に。


島田さんがなんとも言えない笑顔をみせた。
紛れもなく美しい母の顔だ。
僕はこんな母親を持つ小さな息子さんに嫉妬した。
七夕祭、晴れるといいですね。
島田さんがゆっくりと僕に言う。
喜ぶわ。あの子もわたしも。


そう言って島田さんはまたパソコンに向かい、猛烈なスピードで打ち込み出した。
ちらっと見ると島田さんの頬が薄い桜貝のように染まっていて、それが僕の自惚でないといいのになとぼんやり思った。


こちらの企画に参加させていただきました!
楽しかったです。ギリギリでしたが間に合ってよかったです✨
xuさん、riraさんステキな企画をありがとうございます♡

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