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アメリカ中学校に通う娘のアドバイスで大学院の課題が急に楽にできるようになったお話し

10歳から温めていた私の夢の一つ。

それはアメリカの大学院で教育学を学ぶというものでした。

それがなんと、オンラインで授業料無料で学位まで取れる大学院があったので、2人の娘のお母さんをしながら只今学んでいます。

この大学院はそれぞれのペースで学べるようにと、毎週木曜日に一週間分の課題が出され、次の週の水曜日の夜中の12時までに提出するという仕組みになっています。

はじめてのアメリカの大学院。課題もレポートも全部英語。しかも大量。

毎週なんとかギリギリになりながらも食らいついていた状態だった大学院の授業なのが、気づくと最近、ちょっと余裕が出てきていることに気づきました。

こうやってNoteを書く時間なんて考えられもしなかったのに。

もちろん、英語を読んだり書いたりするのに慣れてきたというのはあると思いますが、

このミラクルがどうして起きたのか?

今日は、ミラクルが起きるきっかけとなったアメリカ中学校に通う長女からのアドバイスを書いてみようと思います。

1.アメリカ中学校に通う娘からのアドバイス

あまりにも大学院の課題に追われてしまう状況に、申し訳無さを感じ、やめようかと迷っていた私が最後の望みをかけたのは「てきとー」に課題を終わらす力を手に入れること。

色んな情報からさーっと必要な情報をまとめ上げていく長女を見て質問してみました。

私「長女ちゃんはどうやって集めた情報を読んでるの?」

すると、長女の答えはこんなたとえで帰ってきました。

それは、

砂浜で波が砂を洗い流していくでしょう。
けど、波は砂を全部流すわけじゃない、
少し残っているものがあるよね。

何かを読む時って、そんな感じでやってるよ。

さーって目を通して、頭におっと残るものは置いとくの。

そして、一通り目を通した後に頭に残っている
言葉とか
イメージとか
文章とか

そんな流されなかったカケラから
自分の語りたいことを組み立てていくの。

と。

このポエティックな彼女のアドバイスのおかげで一気に課題が楽にできるようになったのです。

2.スキミングとスキャニングができるようになったノートのとり方

これを聞いた時まさに、以前教えていただいたスキミングとスキャニングだ!と思いました。

こんな読み方ができるようになりたい!と思いながら、
理想の自分の姿とは程遠い状況でした。

今回娘のアドバイスを聞いてはたと気づいたことがありました。

それは、ノートのとり方です!

どういうことかというと、

私はノートのとり方は日本の中学・高校の時のノートのとり方のままだったことに気づいたのです。

というのは、書かれていることを理解するためのノートになっていたのです。

けど、それでは、波にながされずに頭に残したいものが残らない。

記憶があまり得意じゃない私は、自分にひっかかって流されたくないワードなどをノートに取るようになりました。

ポイントは、ひっかけたいものが
ちゃんとひっかかってくれるように
自分の中でどうしても解きたい疑問を作り上げてから読み始めること。
大学院の場合はお題が出されているので、
それを自分の既に関心のある問題と如何に絡め、
自分の中に落とし込んでから読み始めるかが大事になります。

そして、ひっかかったものは定期的に見直します。

なんで引っかかったんだろう。どうしたら使えるだろう、と。

すると、ノートのとり方が変わってきました。

理解するためのノートから
発信するためのノートへと。

発信する言葉や文章を集めるためのノートに変わったのです。

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3.理解するためのノートから発信するためのノートの違いとは?

では、理解するためのノートと
発信するためのノートの最大の違いは何かというと、

私の場合は、
ノートに書く前にどれだけ自分の頭のフィルターを通したか
つまり、ノートに書くのは、疑問に答えるのに使えそうなヒントのみ
論理展開のややこしいものは、裏紙などで論を追いながら、
ノートに書くのは、
自分の疑問の答えとなる
自分の言葉で語る
What とWhy
のピース達。

今週の課題として出してくださっている
その分野のよりすぐりの文献から
それらを集めていくと、
気づくと、課題があっという間に
出来上がってくるということミラクルを只今体験中です。

4.21世紀型の学び体験中

中高と授業があまりにもつまらなく、如何に見直しやすいノートを書くかで授業中の楽しんでいました。

色をどうしようかな〜、文字の大きさどうしようかな〜、歴史上のこの人物の似顔絵をココに書いて、吹き出しで書いてみようかな〜、テスト勉強しやすいように、問題集チックに書いてみよう、

とか、そんなことで暇つぶししていました。

が、21世紀型の学びはそれじゃあ全然スピードについていけないことを実感中。

如何に自分の考えを組み立てるために必要な材料をノートに集めていくか。
必要な情報は何かを見極め、信頼あるソースからとってこれるか。
そして、自分なりの理解のピースから
いかにユニークで説得性のある議論を組み立てていくか。

理解ができて当たり前。それをどう組み立てオリジナルな発信につなげていくか。

ーーーこれが、21世紀型の学びと言われるものかもしれないーーー

と、ちょっと感動に浸っております。

小学校1年生からアメリカの小学校に通っている長女は、そんなスキルにつながる学びをバンバンと受けていたことも実感中。

ここで感じるのは、できるかできないかって、
やり方を知っているか、そして、そのやり方にどれだけ慣れているか
そんなシンプルなことに起因するのかもしれないということです。

21世紀型の学びは20世紀型の学びが基盤になっていることは確かだと思います。けど、それだけでは足りないスキルが確実に要求されているということ、身にしみてわかりました。

何度もめげそうになりながらも、半年の試行錯誤の末、やっとちょっと見えた新世界。

書くために読むコツは
貝殻拾い。
語りたい言葉の破片をワクワクひろいながら
読んでいくこと。
そしてワクワクを集めて、紡いでいくこと。

私と同じように困っている方は、ぜひ試して見てくださいね。

いつも応援をありがとうございます☺




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