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飯塚事件の久間元死刑囚が乗っていた車について、ハイクオリティな考証動画のほぼほぼ受売りの内容ながら、自分が書いておきたいこと

飯塚事件の本質を考証したYouTubeシリーズ『Tamagoの事実探求』の見応えがハンパない。膨大な判決文(医学、化学、物理の専門用語が山ほど出てくる)を全文読み込んだうえでの作成動画で、証拠一つ一つ取り上げて、20分とか30分とかかけてじっくり見せてくれる形だから、引き込まれる。首肯しながら集中して見いってしまう。

詳細は当然本編を見ていただくとして、とりあえず、ここで自分が書いておきたいのは、久間元死刑囚が乗っていた車について。

以下はwikiより。

車両に関して   
2人が誘拐された時刻・現場で、XとWが紺色・後輪ダブルタイヤのワンボックスタイプで、窓に色付きフィルムとベージュの色あせたカーテンがついた車両を目撃し、遺留品発見現場の直近では、Tが紺色・後輪ダブルタイヤのワンボックスタイプで窓に色付きフィルムを貼った車両を目撃したため、「これが本件犯人の使用していた自動車であるという疑いが極めて濃厚である」ところ、久間が事件当時、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダボンゴで、横には薄青色のフィルム、後ろには濃い青色フィルムが貼られ、内側には茶系統の色あせたカーテンが取り付けられているなど、特徴が同じ車両を保有していたこと。
他に該当車の所有者は9名いたが、全員にアリバイが成立し、色付きフィルムも貼っていなかった。

これだけだとちょっとわかりづらいが、元死刑囚が乗っていたマツダのウエストコーストは、けっこう珍しい型のものだったということ。1982年の春から1年半の期間のみ作られた型らしい。車種もそうだが、特徴的なのはシートで、茶色系4色の合成繊維で作られた上質なもの。アルト(飯塚事件の前年の1991年頃、自分が乗っていた車)のシートなどとはまったく違うものだった。

そのシートの合成繊維が、亡くなった女の子2人の衣服についていたという。その数、84 点。その鑑定分析を科警研(科捜研の上の管轄)や、繊維メーカーの東レやユニチカなどに依頼し、半年以上要したうえで、相当な確率で一致(裁判の証拠として機能するデータ結果)していることがわかった。

むろん、「乗せた=殺めた」にはならないが、それについて合理的な弁明ができない以上、不利な立場にならざるえない(彼は当初から女の子らを知らないと話している)。

ちなみに彼は、事件の7か月後にその車を売りに出した。一番後ろのシートを外して、念入りに水洗いしたうえで。

元々、彼を怪しいと睨んでいた警察はすぐにその車を押収し、徹底的に調べあげ、前述の分析や鑑定の依頼に至ったという(おそらく、車が売りに出されなければ、その後の推移は大きく変わったに違いない)。そのシートには、血液痕や尿痕が染み込んでおり(水洗いされても残っていたもの)、そちらのほうでも化(医)学的に分析し、女の子らのDNAとの一致(合成繊維の鑑定同様、100%の結果ではなかったが、証拠のひとつになりうる数値)が見られたという。

以上がきわめて大雑把な、元死刑囚が逮捕に至るまでの概要……の一部(これらはあくまで証拠の一部。全部ではない)。こういった細かな流れ、実情を自分はくだんの動画で初めて知った。なんといっても、マスコミや弁護団は、冤罪濃厚のテイでもって「初期のDNA型鑑定のずさんさ」とか「目撃証言の不確かさ」などしか言わないから。半ば洗脳されても仕方がない。

そうそう、自分も完全に勘違いしていたが、福岡県警は「初期の精度の低いDNA型鑑定」では、彼を逮捕していない。警察もそれは“証拠として弱い”とわかっていた。実に、証拠を固めて固めて、事件発生から2年7か月後にようやく逮捕に至った由。これはとても重要な事実と言える。

最後に。なぜ、彼は事件から7か月後のあの時期に車を売りに出したのだろうか。

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