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日航機123便墜落事故(事件)⑦〜あの夜、時事通信が配信したとされる2つの正確な情報は、なぜ、生かされなかったのか?

日航123便墜落事故は、大まかな(ほんとに大まかな)謎として2つの重大事項が挙げられる。一つは墜落に至るまでのプロセスの様々な謎。もう一つは、墜落後、翌朝まで(約16時間!)救助の作業がまったく行なわれなかった謎。

今回は後者のそれについて考えてみたいが、一般的認識としては、多数の情報が錯綜する中、場所が特定できず、結果的に時間がただいたずらに過ぎてしまったというーー。

厳密に言えば、米軍機も自衛隊機も炎上する現場上空までは行ったものの、ともに現場に降りることはなく、自衛隊機にいたっては場所の位置情報を誤って伝えるという大失態。

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長らく自分もそのように信じていた。

しかし、2010年に掲載された時事通信のこの記事を読んで驚いた。

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本事故において最初の一報を各メディアに伝えたのは時事通信と言われるが(ただし、本記事の「19時13分」はちとひっかかる。19時前に緊急速報が流れたのではなかったか)、そんな中で、同日中に早々に「横田基地から見た墜落現場の方角と距離」および「長野県川上村の女性の正確な目撃情報」が各メディアに配信されていたという!(冒頭のイラストは、のちにその女性が描いたもの)。

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これが事実なら、なぜ、メディア(とりわけテレビ)はそれを大々的に報じなかったのか? という疑問が浮かんでくる。逆に早く出された分、あとから出てきた情報(時事通信以外の誤情報も含む)のほうが最新版として重きを置かれることとなり、結果、埋もれていったということなのか。

一説にはTBS、および毎日新聞が「墜落現場は御巣鷹山周辺」という認識で早々に動いていたとも言われるが、多勢に無勢の状況のもと、確かな情報がすぐに公に生かされることはなかった。

あらためて思うに、なぜ、最初の2つの情報が生かされなかったかが不思議でならない。とりあえず早々に情報として配信されたわけで、確認作業で動く媒体はなかったのか(川上村、ひいては周辺の村や町の行政機関、店、住人など可能な限り問い合わせをするとか)。時事通信という伝統と権威ある通信社の情報がこのときに限り軽んじられた理由、背景はなんなのか。

ここで気になってくるのは、時事通信が3番目に配信したという運輸省発の情報。「長野県の御座山(おぐらやま)の北斜面で機体を発見」って、完全に誤ったその内容はいったいどこから出てきた情報なのか?

明らかに胡散臭さ満載。現状の自分として、必然、「政府としてどうしても時間稼ぎする必要があったのだ」云々の陰謀論に向かわざるえない、という。

まあ、先にも書いたように、あくまで「これが事実であれば」が前提。時事通信サイドの言い分(記述)もひっかかる部分があり(時事通信としての、一つ一つの情報に対する精査はどうなっていたのかも気になる)、額面通りにはどうしてもすんなり受け取れない。

あらためて闇の深さを感じずにはいられず、この事故(事件)に秘められた大筋にして本質と呼ぶべき奇怪な怖さを思い知らされる。

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