日航123便墜落事故(事件)㉔〜1985年8月12日のあの日あの夜。メディアはどの時点で、不明とされた機の墜落場所を知りえて、報道したのか?
第24回の今回はこのテーマで。
123便の墜落場所については、情報の混乱錯綜ゆえ、事故の翌朝明るくなるまでわからなかったというのが定説。だが、この事故をまっとうに調べている方なら、それがまったくのデタラメであることはおわかりのはず。
「当時のレーダーはいまほど高性能じゃなかった」「位置情報を調べる機能のTACAN(タカン)も、今ひとつ精度は低かった」などの声が聞かれるが、百歩譲って仮にそうだとしても、長野県川上村の複数の住人が墜落の場面を生で見たうえで警察やテレビ局に報告しており、自衛隊や警察サイドの「夜中の山岳地帯なのでわからなかった」というのは通用しないだろう。
そんな中にあって、長野県の一部新聞が当夜に号外を出し、正しい墜落地を報じていたことは知る人ぞ知る話。
問題は全国メディアなのだが、実はTBSのニュースが夜中(13日の0時過ぎ)にほぼほぼ正しいそれを伝えていたことはあまり知られていない。
当初、「墜落場所は長野県の御座山(おぐらさん。まぎらわしいが、上図のようにそこから北東の群馬県内には小倉山なる同音の山がある)」と発表されたわけだが、TBSの同ニュースではハッキリと「長野県と群馬県の県境」と報じており、全国メディアでは一歩先んじてほぼほぼ正確な墜落位置を伝えていた。
『ワタナベケンタロウ動画』によれば、『朝日新聞』と『読売新聞』が13日の朝刊で「御巣鷹山」という名称を出している由。その名前こそ出していないものの、当初言われた「墜落場所は長野県の御座山」を否定した形での報道を最初におこなったのがTBSだった。
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