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あの「グラドルは死語?」記事から端を発して、いま一度、「グラドル」という呼称について考えてみたいことがあるので、ちょっと書いてみた

先日、某ライター(アイドル仕事には縁のないライター)に聞かれた。「グラドルって死語なの?」。

なるほど、あの記事のことを言ってるんだなと。

1月末にオリコンニュースに上げられた記事。グラドル絡みにしては珍しく500以上のコメント(ヤフコメ)が寄せられている。

早々に結論から言えば、死語ではない。フツーに「グラドル」で検索すれば、ニュースとして依然随時上がり続けているし、なにより肝心のオリコンニュースがその言葉を使い続けている。

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呼称にしろ、存在にしろ、相変わらず健在だ。

ただ、個人的に気になり続けていることがひとつある。それは「グラドル」と口に発したときのイントネーションだ。

あらためて記しておくと、「グラビアアイドル」ならぬ「グラドル」という略称にこだわった最初のライターは自分だと思う。

2000年夏、初の番付記事を書くにあたり、自分はどうしても簡潔に「グラドル番付」で行きたいと考えた。あの人気定番企画および著書の「アイドル探偵団」に対抗して、短いタイトルで行きたかった。当時はまだ「グラドル」という言い方は一般的ではなく、編集部からは軽く何度か確認された気もする(そうだ、業界でも定着はしていなかったのだ)。自分は強固に主張し、それで通した。タイトルは無事、自分の意向どおり行くことになったが、開始当初数回ぐらい、表紙には「グラビアアイドル番付」と表記されることとなった(苦笑)。

で、そのイントネーションだが、自分は常に平板な形で言う。「パソコン」「プリクラ」「バリカタ」のように。

ただ、当のグラドルさんと話していて、その呼称が出ると、けっこうマチマチという。自分は当然、「バリカタ」風で会話を押し通すが、たまに相手に合わせることもある。ちょっとめんどい。

印象的だったのが倉持由香さんにインタビューしたときで、会話中「グラドル(パターン1)……、グラドル(パターン2)?」と2つのイントネーションで言ってくれる場面があり、その律儀さがとても微笑ましく、好感が持てた。

まあ、どちらでもいいっちゃいいんだが、現状の大勢はどうなんだろうか。

「グラドル」という呼称にこだわり続けてると豪語するわりに、2011年に出した本のタイトルは『グラビアアイドル「幻想」論』だったりするわけで。

そういや、2010年頃でも、「グラドル」はまだテクニカル・タームの領域にあった。2000年に比べたら、だいぶ変わってはいたはずだが。

「グラドルは死語?」の問題提起には自分はまったく関心がない。呼称も存在もニーズも、当面安泰だから。「“グラドル”のイントネーション」には少〜しだけ関心がある(特にトップクラスの人気グラドルさんのイントネーション)。


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