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祝・おニャン子クラブ卒業35周年。2016年におこなった新田恵利さんのインタビューの記事で載せきれなかった内容アレコレと、それに関する雑感アレコレ

  先日アップした新田恵利さんのインタビュー記事(初出.『EX大衆』2016年3月号)。気になって、起こしたもの(録音したものをほぼ全文、最初にまとめたもの)を久々に見直したら、当然のことながら載せきれなかった内容がたくさんあるわけで。

 むろん書ききれなかったものを載せると言っても、彼女に迷惑が掛からないよう支障がないようにいくつかだけ載せる次第。まあ、本インタビュー以前も以降も散々あちこちでインタビューを受け、話しなれている彼女であって、本記事で特別、爆弾発言が飛び出したわけではない。ヤバい話はほぼなかったといえる。宿命のライバル(笑)の話なども方々で語り尽されており、ほかの新旧インタビューと被ってる内容も多かったはず。

 だが、そこはおニャン子世代としての自負(自分は例のあのファンクラブに入ってたとか、そういうわけではない)、さらに長年アイドルライターを続けてきた身としてそれなりの知識は備えているわけで、ねちっこい形で質問をぶつけ、そのうえで微妙にプラスαで聞き出せたというのはあると思う。

 そう書きつつ(汗)、なんといっても一番印象に残っているのはコレ。完全にワタクシ(織田)の話になっているので、誌面にはハナから載せる気はなかったが、こういうツッコミが新田さんらしいというか、なんというか。

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↑とりあえず、以前、自分のツイッターに記したものを採録。

 こういう場合、ライターによっては大人の対応として「もちろん新田さんです」と答える(即答する)のもアリなのだろうが、もろおニャン子世代の身として(自分は新田さんの学年2コ下。自分が高1のときに『夕ニャン』が始まった)、そこはウソはつけず、正直に答えた。その甲斐あって(?)、いいツッコミというか、いじりを聞けたわけで。自分は慌てて、「彼女は夢に出てきたんです。学生の頃ってあるじゃないですか(苦笑)。朝起きたら無性に気になる存在になっていまして」などと弁解したら、「ああ、そういうのありますよねえ」と同意していただき嬉しかった。

 意外だったといえば、コレ。

彼女「北海道はなかなかおニャン子の熱が届かなかったところなんですね(笑)。『やっぱり北海道はなかなか難しいねえ』ってスタッフの人が話してましたね」

 イベントでの客の入りについて。自分が道産子という意味あいもあるが、意表を突かれた事実。当時、自分の周りではフツーに熱烈に盛り上がっていたから。ただし、札幌ではなかったし、当然ながら素人ボウズの狭い範囲での実感などまるでアテにならないということで。

 あとはやはり、あの早々の喫煙事件。アイドル誌ということで誌面では割愛したが、率直に語っていただいた。

彼女「喫煙事件は……、まあ、未成年だからしょーがないなっていう。そのメンバーとは、仲のいい悪いとかはなかったですね。まだ始まったばっかりだったんで。同じ埼玉出身の、駅が2、3個しか違わない子もいたんですけど。学校と同じで、派手な子と地味な子といろいろいるじゃないですか。そんな感じなので、あまりよくお話をすることはなかったですね。なかじ(中島美春)とか、地味派同士一緒にいましたから」

 ロング・インタビューなら掲載したはずだが、以下のような部分もカット。自分的にはこういう真面目な話も好きなのだが。

彼女「芸能界でやっていこうって考え出したのはかなり経ってからなんです。学校の卒業間際になって、“ワタシそういえば、先生と進路相談してないや”って気づいて。あれって?(苦笑)。先生に聞いたら、『いや、お前はどうせその世界で生きていくんだろ』って言われて、ああ、そうなんだあって。で、言われるがまま二十歳ぐらいまでやってたんですけど、二十歳ぐらいから本当にこれでいいのかなって。望んで欲して入った道ではなかったんで、このままでいいのかなって。自分でやりたいことなんなんだろうって いろいろ悩んで……」

 二十歳といえば、1988年ぐらい。おニャン子から卒業して2年後のことであり、ソロとして歌手活動を続けていたが、数字的には明らかに落ちてきた時期。南野陽子、中山美穂、浅香唯、そして、後輩の工藤静香らが人気を博す中、デビュー以来ひたすらトップ・アイドルとして走り続けてきた新田さんは、初めてひとつの壁にぶち当たったというお話。

 最後にコレも。自分はおニャン子のアルバムの中で2ndの『夢カタログ』が一番好きで、特に彼女と中島美春が2人で歌う2曲目「星座占いで瞳を閉じて」が好きなのだが、それについて聞いてみると――。

彼女「ああ、あの曲はいいですよねえ。やっぱり好きですね。2ndアルバムの出来はいいですよね。スタッフも乗ってたんじゃないですかねえ。秋元さんがまだ頭回転してたからかも(笑)」
自分「えーと、それはどういうことで?(苦笑)」
彼女「途中から、いやになっちゃったんじゃないかなあ。ハハハ」

 その真意については、またいずれどこかで書けたら。いや、これに関しては彼女が語ったものではなく、事前にインタビューした『夕ニャン』伝説のディレクターのK氏の話でおおよそのことがわかっていて、自分の中でなんとなく腑に落ちるものがあったという……。

 以上、新田さんのインタビュー関連の記述はここまで。

 最後にここからは個人的感慨に関する余談をひとつ。唐突ながら、その名曲「星座占いで瞳を閉じて」と相通ずる感触を一貫して持ち続けている楽曲が自分の中にはある。当時大ヒット中のロック・ユニット、a~haの1stアルバムの一曲「Train of Thought」(邦題は「ストレンジャー・トレイン」。のちにシングル・カット)だ。

 どういうことかといえば、『夢カタログ』における1曲目/大ヒット・ナンバーの「およしになってねTEACHER」から2曲目「星座占い~」に繋がる流れのムードが、その数か月前にリリースされたa~haのアルバムにおける、1曲目/大ヒット・ナンバーの「テイク・オン・ミー」から2曲目「ストレンジャー・トレイン」に繋がるそれになんとも似通っているのだ。当時、旬のアルバムを交互に聴きながら、16歳の筆者はそれを微妙に感じ取り、35年経ったいまもその思いが変わることはない。要は、作曲者の後藤次利は明らかにそれを意識して作曲した(いや、編曲した佐藤準が意図したものか)……と信じて疑わないわけだが。うーん、どうだろうか(確認はとれておらず)。

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↑1986年3月リリースのおニャン子クラブの2ndアルバム『夢カタログ』。人気メンバーのソロ・デビューを見据えて、リード・ヴォーカル仕様の楽曲が並ぶ。超名盤!

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↑デビュー・シングル「テイク・オン・ミー」がいきなり全米1位の大ヒットしたa〜ha。1985年12月リリースの1stアルバム

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