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日航123便墜落事故(事件)㉒〜みんなわかっているのに知らぬふり? 落合証言からわかる「事故調査委員会が提示した飛行ルート」の誤り

これはとてもとても単純な話と思われるが、あまり言われてない気がする。例の123便の飛行ルート問題の一つについて。

自分は本シリーズの中で「埼玉県のどのあたりを飛んだのか? 事故調査委員会見解の埼玉県中央部を飛んでいない説は誤りでは?」について長らく固執しているわけだが、そもそも、もっと有名な、肝心なところで誤りがあるという。

生存者の1人にして、日航のアシスタントパーサーだった落合由美さん(非番で乗客として機に搭乗)の証言にはこうある。

重要なのは、
「窓の外のやや下方に富士山が見えたのです」
「左の窓の少し前方に見えた富士山は、すうっと後方に移動していきます」
の箇所。

落合さんの席は56C。前から56列目、左から3番目の席。後ろから5列目といったほうがわかりやすいか。

席からいって、左側の窓から見た景色を言っている。そこで富士山を見たと。

事故調査委員会発表の飛行ルートを見てみる。

機は富士山の北側を飛んだことになっている。

明らかにおかしい。落合さんは左側の窓から富士山を見ている。前に見えた富士山は、すうっと後方に移動していった。

彼女の証言に照らし合わせれば、機は富士山の南側を飛ぶか、もしくは東側を北上するかして飛んでなければならない。

なんで、こんなことになったのか。落合証言の中の「機内に白い煙が一瞬出た」という部分は急減圧の証拠として重宝して採用するくせに(ただし、急減圧が起これば白い煙はすぐには消えない)、こういうルートを知るうえで重要な話はなぜか却下してしまう。それが事故調査委員会の思考、判断。

彼女の証言は極めて冷静なものであり、逐一の機内の様子もよくわかり、重要な証拠といえるはずだが。

「左の窓から富士山が見えました。前から見えて、すうっと後ろに移動していきました。さて、123便という飛行機はどのあたりを飛んでいたのでしょうか?」という、小学生でもわかる答えをアヤフヤにしてしまう理由がわからない。

123便の実際の飛行ルートは、事故調査委員会の見解とは明らかに異なっているのだ。

3月19日追記。最新のwikiを見ると、飛行経路図は変わらずだが、文章的には「富士山東麓を北上」となっており、納得いく記述になっている。wikiは、事故調支持派、反対派双方が時折手を入れるので、この記述がいつまで続くか。


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