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我が思い出のグラビアアイドル、三浦直子・その1

 ライターをやっている自分にとって一番思い出深いグラドルは誰だろうか。そう考えたときに、真っ先に思い浮かぶのは三浦直子だったりする。なお、ここで言うグラドルというのは、あくまでライターの仕事を通して出会ったり、文章に書かせていただいた子で、ライター始める以前の淡い思春期青春時代に誌面で見ていたアイドルやモデルは該当しない。まあ、グラドルという言い方は自分の思春期時代(80年代。奥手の自分にとっては20代早々の90年代序盤も含まれるか)にはなかったわけで、もっと言えば、ライター始めて以降もしばらくは存在せず業界内でもほとんど認知されていなかった言葉であり、必然その人選は90年代半ば以後、アイドル・シーンに空前のグラドル・ブームが訪れて以降の子となる。

 1996年秋。駆け出しのライターながら、すでにその時点で何十人かのアイドルのインタビューや取材を経験していた自分だったが、三浦直子との邂逅はけっこう衝撃的だった。というのも、その日はライター人生初めての街撮り取材。カメラマンと2人で渋谷の109の前に陣取り(?)、素人のギャルや美少女に声をかけ、写真を撮らせてもらうのが任務。自分の役割は「声かけ」と「アンケート用紙を使っての簡単な取材」。編集部からは誌面の3ページをいただいており、最低でも20人ぐらいは撮らなきゃいけないというのが使命だった。

 プライベートでは女好きの友人たちの影響もあって、それなりにナンパという行為を経験していた。ゆえに編集部からそういう仕事を頂戴したわけだが、やはりプロの仕事として誌面を彩る顔ぶれということを踏まえると不安は隠せないというのが正直な気持ち。スケジュールの関係上、取材は平日昼間。あいにく天候は曇り。時間帯のエアポケットというか、意外に歩行者が少ない状況からの取材スタートとなった。

 そんな中で、道玄坂のほうから歩いてきたギャル系4人組。目立つ見た目、一気に人数取れる! ということで声をかけると、全員ノリよく撮影OK。年齢はいずれも16歳。撮影とアンケート取材を臨機応変、順にやっていくプロセスで、「なにかアピールあれば、空白の欄になんでも書いていいので」と話すと、1人の子がこんなことを言い始めた。
「ワタシ、実はTVに出てるんですよ」
「え、そうなの? じゃあ、そのあたりも書いといて。誌面に載せるので」
 その時点では、ちょっとしたエキストラぐらいに思ったのだが、よくよく話を聞いてみると違った。
「『BiKiNi』って番組なんですけど、知ってますか? 今月から始まったんですけど」
「『BiKiNi』? もしかして、テレ東の……」
「そうです。金曜の深夜にやってる……」
「この前の放送、チラッと見たはず。確か、CMが『宝島』で」
「そうですそうです」
「あれに出てる?」
「そう」
「自分、『宝島』でも仕事やってるんだけど」
「ああ、そうなんですね」

 その日はそれで終わったが、後日金曜日の深夜、『BiKiNi』を見て驚いた。そこには109前で取材した彼女が思いきり映っていたのだった。(つづく)

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『Cream』1997年9月号。三浦直子が表紙。ちなみに表紙にある浅田真子とは現・熊切あさ美である
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前列左、吉田里深の隣が彼女


本稿執筆5か月前、2021年3月にフェイスブックに書いたもの


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