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学ランを脱いだ自分に何が出来るか

①はじめに

ここまで、無我夢中で走ってきた。
前輪に「神宮」、後輪に「自分」と書かれた自転車を漕ぎ、コロナ禍という逆境のプールを泳いできた。

人は僕を見て「応援部を背負って…」と傍から見たらメッチャカッコイイことを言ってくれる。

だが言われている本人にそうした自覚は一切ない。「未来の神宮を満員にする」とは言っているが、気付けば神宮に1ミリも関係ないトライアスロンを始めている。自分の行動が、掲げたビジョンに対して最適化されているとは言えない。

点がそこら中に散らばった、
ハチャメチャな人生だ。

正直自分は何をやっているんだと、
時々自分でも分からなくなる。

いつも自信満々に偉そうに発信しているのに、当の本人は自分に一切自信がない。目隠しをしながら走っている気分だ。

そういう時、僕はノートを書く。
一人机に向き合いココアを飲み、明日(時間的には「今日」か)何をしようかと考えながら。

そういう時、僕は走る。
キツさと疲れで、頭の中から「悪いあの人」や「可哀想な私」を追い出し、今自分にとって何が必要かだけを考えながら。

引退までのカウントダウンが始まっている。
ここで僕は一旦立ち止まらなきゃいけない。今何をするべきなのか、何を目指しているのか。今一度、棚卸しをするときが来たようだ。

この記事は、自分を客観的に見ようと書いてみた。
この記事を読んでいる方にお見せ出来るくらいに、マトモに文章として纏まっていれば、それは客観的に自分を見ているということになるのだろう。

だからこのnoteにはいつも皆さんに見せている「自信満々な大久保」は存在しない。綺麗さのカケラもない失敗だらけの泥に塗れた大久保友博という虫けらが、この記事では本性を表すだろう

それでも良ければ、読んで欲しい。
多分、等身大の大久保のことを、ちょっと知ってもらえると思う。

②俺だけのゴールはどこにある

「秋の早慶戦こそが俺のゴール」

ずっとそう思ってきた。ここで自分の全てをぶつけ、後は引退日まで悠々自適の人生を送るのが「普通」だと思っていた。

だが、その認識はコロナ禍で打ち砕かれた。応援のない日々。先の見えない日々。まさか自分がツイッタラーになるとは思わなかったし、こうしてnoteを書くことになるとは思わなかった。

先の見えない日々の中で、僕は気付いてしまった。僕はどこかの誰かが勝手に決めたゴールに全力で走っていたんだ。

早慶戦で全てを出し切るなんて、自分の意思で決めたことじゃない。ただ11月、そこにイベントとして都合良く転がっていただけだ。

それに辿り着いたから僕はゴールテープを切ったことになる。そうは思えなくなってしまった。今まで自分の意思で目指していたものが、本当に自分の意思によるものだったのか、誰かが決めたことに従ってたのか分からなくなった。コロナ禍は僕からゴールを取り上げた

そして、考えざるをえなかった。
自分だけのゴールはどこにある?俺は何をもって引退出来る?俺は何をすれば堂々たる態度で学ランを脱げるんだ?

引退まで永久に続く、
禅問答が始まった。

2020年11月8日。野球の早慶戦が終わり、僕は神宮を去った。色々な人に「最後に優勝できて良かったね!」「努力が報われたね!」と言われる。

ありがとうございます。嬉しいです。でも、残念。僕の中では、まだ終わってない。いや、まだ終われないと言った方が正しいか。

引退するその日まで、多分答えは見つからない。

「生きがいなんて死ぬ最期に『ああ、コレが生きがいだったんだ』って気づければいい」と言ったのはビートたけしだ。

ここで語られる「生きがい」は僕にとっては「ゴール」と言える。だから引退する瞬間に、「応援部の大久保」が死ぬ瞬間に、初めて自分だけにとってのゴールが分かればそれでいいと思っている。

だから、野球の早慶戦が終わろうが、人にお疲れ様と努力を労われようが、僕の挑戦は終わらない。やり切れたとはとてもじゃないけど言えない。

まだ、学ランは、脱げない。

③学ランを脱いだ自分に何が出来るか。

とはいえ、学ランを脱いだその時に、自分に何が残っているかを考えることもある。いや、今の僕はそれしか考えていない。

今までTwitterで色んな発信をしてきたが、求められているのは「応援部の大久保」だ。自分が個人でやっているトライアスロンや読書の紹介をしても、PV数はそこまで伸びない。だが、「応援部の大久保」としてツイートすれば伸びる、伸びてしまうのだ。

数字を追いかければ人生はつまらない。だが、自分の価値を客観的に見るためにも、数字には向き合わなければならない。「追うのではなく、向き合う」のが数字だ。

向き合ってみれば、否応なく現実に向き合うことになる。凄いのは「大久保友博」という男ではなく、応援部なのである

学ランを脱ぐのが正直怖い。
学ランを脱いだ姿を想像するのも怖い。
自分に価値がなくなるのが、怖くて怖くてたまらない。

先日アルバムを見返したら、応援部関連の写真しかなかった。ビックリだ。ここまでドップリ浸かっていたのか。

果たして「応援部の大久保」ではなく「大久保友博」に値札を付けたら、何円なのだろうか。自分が世に提供出来る価値は一体どれ程大きいのだろうか。

今も挑戦を続けているなんてカッコイイことを言っている。でも本当は、学ランを脱ぐ前にちょっとでも自分の価値を高める様「貯金」してやろうと打算的に考えている自分もいる。

そんなことをする度に、
そんな自分を発見する度に、
自己嫌悪に陥る日々だ。

応援部を卒部したら、僕のゴールは何になるんだろう。もしかしたら死ぬまでこの禅問答は続くのかもしれない。

④「元応援部」とは言わせない

だが、一つ心に決めていることがある。
それは、元応援部とは言わせぬ生き方をするということだ。

早稲田の様な「高学歴」と言われる大学には、当たり前だが浪人生が多い。彼らは浪人時代、人に有無を言わせぬ程の努力を重ねたと思う。僕自身、1日15時間の勉強を積み重ねて、今ここにいる。

だが、努力がそこで止まると、悲惨だ。
浪人時代で自分の人生を描いたドキュメンタリー映画が止まる。これ程悲惨なことはない。

この状態に陥った人は、得てして指定校推薦やAO推薦、内部進学で早稲田に来た人に、謎のコンプレックスを抱いている。3年間という時間を与えられて結果を出せなかった自分が、3年間という時間を効率的に使った人よりも、優秀だと思っている様だ。

今日もTwitterでは「学歴コンプ」と「内部進学コンプ」を発症した人達が、匿名で罵り合っている。推薦で進学を決めた人を罵倒し、一般受験組こそ正義と群れを作る。

正直僕には彼らの気持ちが理解できない。僕の同期で一番優秀な男は内部進学だし、同じ目線で日本一を目指す体育会の同士たちの多くは、推薦制度をフル活用して早稲田に来ている。

話を聞くと、とても自分には出来ないなと思わざるを得ない。

要は浪人時代の努力を語る人は、過去の自分の価値で勝負しているわけだ。今の自分に自信がなく、何かに挑戦しているわけでもない。だから、「輝いてたあの頃」を思い出してしまうのだろう。


ハッキリ言う。
学ランを脱いだ時、「自分がこうなっているのではないか」と怖くて怖くてたまらない。「あの頃の俺は頑張ってた」と今の自分の価値を語れなくなるのではないかと、怖くて怖くてたまらない。

無我夢中に走った2017年から2020年を懐古する日々が、容易に想像出来てしまう。

だから僕は未来の自分自身に「元応援部」を名乗ることを絶対に許さない。1年後の未来の自分には、過去の自分を振り返って「バカだったなぁwww」と恥ずかしく思っていて欲しい。

1年後の自分が今の自分を「マジあの時の俺は輝いてた」と言ったら、1年間後の自分が今の自分を越えられなかったということの証明であると考えているからだ。

巨人の坂本勇人やソフトバンクの千賀滉大。世界一の安打製造機である鈴木一朗。野球界を代表する彼らの「出身高校」を言える人はそう多くないはずだ。

理由は簡単だ。今の彼らが輝いてるからである。彼らの経歴に、出身高校なんて書く必要はないんだ。

こんな生き方をしたい。
過去の価値ではなく、未来の自分がその時持っている価値で勝負できる男になりたい。

引退したら「元応援部」とは言わせない。
僕はあくまで、未来の自分の価値で勝負する。

俺の名前そのものが、
俺の肩書きだ。

⑤終わりに

初めて自分の信念というものを明文化してみた。いや、元から自分のノートには書き込んでいたが、それをこうした形で人にお見せしたのは初めてだ。

少し冷静になれた気がする。
書くことで、自分を第三者として見れる。
ノートに乱雑に書かれたメモ書きが、同じく乱雑に歩んできた、自分の人生に見えてきた。

記事を書き終えた今、程良い疲労感と爽快感が頭の中を駆け巡っている。今日もぐっすり眠れそうだ。


この記事を公開するのは、
2020年、12月6日。

学ランを脱いだ日と、
来年のちょうどこの日。

未来の僕はこの記事に対して
何を思うのだろうか。


未来の僕が抱く感想は、「あの頃の自分は輝いてた」ではなく「あの頃の自分は未熟だった」であって欲しい。と未来の僕に伝えたい。

今、ここの地点が全盛期の人生にだけはしたくない。「あの頃の大久保はマジでゴミだったよね」と人に笑われていたい。

もしかしたらこの記事は「未来の自分に宛てて書く手紙」なのかもしれない。引用元の曲通り、好きな自分も嫌いな自分もさらけだした「素直に打ち明けられる」記事になってしまった。

だが、これが等身大の僕だ。
これが嘘偽りのない、大学で過ごした僕の4年間だ。

ブレーキは掛けた。
立ち止まった。
色んなことを整理した。

ここからまた、走り出す。

もうアクセルしか、踏まない。

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