「穢れた土俵・角界編」 序章~第一章それまでの六角

序章~第一章それまでの六角

序章
ザァー・・・

溢れる湯が洗い場に拡がり、置いてあった手桶や、軽くなったシャンプーを倒し、津波のように巻き込みながら排水口へ向かっていく様を見ながら、六角は考えていた。
--自分たちも、いつかはあんな風に流れに巻き込まれて行くのだろうか。
その時、自分はどうなるのだろう。あの人たちは守ってくれるのだろうか。
それとも、簡単に切り捨てられてしまうのか。

またか・・・深いため息が出る。
いつもこれを考え始めるとキリがない。
現役を退いてから、多少小さくなったとはいえ、一般的に見ればまだ大きな身体を、このホテルのバスタブに埋める時だけが、誰の目も気にせず過ごせる時間だというのに。
どうして、また一人になると、いつも不安だけが頭をもたげてしまうのか。

さきほどまで会っていたあの人は繰り返し言っていたではないか。
(心配ありませんよ。大衆なんて時が経てば忘れるものですから)

そうだ、こうも言っていた。
(今までうまくいっているじゃないですか。だから、今後も大丈夫ですから)と。

心の中であの人の“大丈夫”を何度も繰り返して自分に言い聞かせると、六角はその言葉が湯に解けているかのように、両手で何度も掬っては顔から頭まで力強く擦った。

しかし息を大きく吐くと同時に、「あの時のあの選択は正しかったのか」という自問自答の声を吸い込んでしまう。
そして六角は、また“あの時”から始まった今までの記憶に思いを馳せ巡らせていた。

*

第一章 それまでの六角
始まりは、今から8年前の2010年。
この年は六角が初めて相撲協会の役員待遇になった年である。
しかし、その華々しい筈の記念の年の実質は、「火中の栗を拾う」または「猫に鈴をつける」といった貧乏くじをひかされた感のある人事だった。

それまでの六角は、決して順風満帆とは言えないまでも、決して悪くない人生だと自負していた。
中学卒業の15歳で初土俵を踏んだ六角は、特に秀でた才能は無かったものの、朴訥でマジメで従順な性格から、兄弟子たちにいい意味で可愛がられ、重宝された。

特に、後の大横綱と呼ばれる八千代山は、六角のタフで黙々と粘り強く稽古をする姿を気に入り、早くから自分の稽古相手として六角を指名し、雑用やちゃんこ番などから彼を遠ざけ、自分の近くに置いた。

そのお陰で稽古する機会に恵まれた六角は入門4年の19歳で十両に昇進。
そのまた4年後には横綱まで上り詰めた。

これには誰もが驚いた。
人気や実力があっても怪我やその他の運で、横綱になれない者もいるこの世界で、人気・実力ともに「可もなく不可もなく」といった地味な六角が横綱にまでなるとは、周囲はもとより贔屓目に見ている部屋の人間や、タニマチすら予想していないことだった。

それは六角本人も自覚していた。
常に背中を負い続けていた、兄弟子で大スターの八千代山や、他の若手人気力士に比べれば自分に華がないことは解る。
でも、自分には運があった。そしてそれは、努力する才能と「努力していればいつか運が味方してくれる」という信念が引き寄せたものだと自負していた。

そして六角は、怪我や一人横綱などの苦労を重ねつつも何とか横綱を5年勤め上げ、28歳10ヶ月という若さで現役を退いたが、悔いは無かった。

自分の才能、自分の素質で13年、出来る限りのことをやり、お釣りが来るほどの幸運を得た。
これからは、もっと才能のあるヤツ、素質のあるヤツに自分の努力の方法を教えて育てていこう。

そんな風に希望を持って、引退後1年間は部屋付きの親方として若手の指導やスカウトに励み、1993年29歳の時に六角部屋を立ち上げた。
部屋持ち親方になると同時に、協会の仕事に参加するようになった六角は新たな自分の才能に気づく。

運営や仕切りや段取りといった協会の仕事が、意外なほど新鮮で、組織の中で働くことが楽しくなってきたのだ。

そもそも、彼は新弟子たちが「部屋っ子」としてやるような、部屋の仕事や、おかみさんのお手伝いなどの経験が少なかった。早いうちから、彼を気に入った八千代山が、稽古相手や付け人としてベッタリ囲い込まれたからだ。
「お前は田舎者で、人見知りだから」と八千代山が先回りして、やらせないようにしていたことも、いざ自分でやってみたら人並み以上に出来たのだ。

新弟子の頃から八千代山に可愛がられたことは、六角にとって大きなメリットだったことは事実だ。
少し可愛がられる程度なら、周りの若い兄弟子たちからもヤッカミを受けて苛められても仕方ない業界なのだが、なにせ相手は八千代山である。

男気が強いだけでなく、めっぽう気性が荒い。六角を苛めたことが耳に入って、仕返しでもされようものなら、相撲がとれなくなる可能性すらある。
だから、若い六角に手を出すものは居なかった。そもそも、そこまで強くなるとも、出世するとも思われていなかったのも幸いした。完全なダークホースだったのだ。

六角にとって、八千代山は大きな防波堤のような保護者であり、六角がのびのびと成長するために、外部からシャットアウトしてくれる存在だったので、多少乱暴だったり、気まぐれに振り回されることも六角にとっては何の苦でも無かった。

六角自身、もとも自己主張も少ないタイプであり、守ってくれる上の者に付いていくことを疑問にも思わなかったからだ。

しかし、六角が幕内に入り、三役になった頃から、さすがの六角も正直困ることがあった。

八千代山は親愛の情が深すぎて、弟弟子が三役になろうが、タニマチの前であろうが、弟であり、自分の付け人時代のの感覚が消えなかった。
言うなれば過干渉であり、いつまでも小僧扱いをするところがあったのだ。

相手は兄弟子であり、スターの大横綱、八千代山が紹介してくれたからこその今の人脈や、タニマチがあることも理解しているし、感謝も尊敬もしている。

とはいえ、八千代山は六角の立場を考える、ということが無かった。
たとえ自分から見たら弟弟子でも、当の本人は付け人も居るし、三役にまでなった一人前の力士だ。
その六角に対して、下の者の前でいつも弟扱いしたり、用事を言いつける八千代山は、端から見たら「兄貴風を吹かす無礼な人」と見えなくもなかった。
事実、六角が自分の贔屓衆からのそういう声に対し「いや、いつまでも可愛い弟と思ってくださっているんですから」と、フォローを入れることもあった。事実、六角の中にも、困ったり迷惑だと思う気持ちよりも、今までの恩義を考えれば、愛が深すぎるのだと解釈するほうが腑に落ちていた。

でも、自分はもう部屋を出て独立したのだ。

入門した頃の、田舎者で人見知りでひ弱な少年だった自分と、今の自分は違う。
協会の誰もが、国技館の周囲の誰もが自分を知っている。
「あの元横綱の六角だ」と。相手の方から笑顔で、頭を下げてくる。「親方」と呼んでくれる。
黙々と努力を続け、誰かがいつか認めてくれるのを待つ日々はもう終わったのだ。

六角は嬉しくて堪らなかった。自分でも、こんなに開放感を感じるとは思っていなかった。
付け人時代は恩義のある八千代山に感謝を求めたりしなかったが、今は違う。
付け人時代のように当たり前に仕事をしているだけなのに、みんなが「恐れ多い」と恐縮してくれ有難かってくれるのだ。親方から「もっと堂々としろ」「押出が足りない」と言われた自分のキャラクターでさえ、「腰が低い」「話しやすい」と褒められるのだ。

六角は親方になって水を得た魚のようにますます、親方業としての若手育成と、協会員としての仕事に精を出し、7年後の2000年には副理事の立場となる監事にまで引き立てられた。

六角の感じていた「自分にも、こんな才能があったんだ」という自分への驚きは、危ないからと過保護に育てられた子や、末っ子が自立する時の高揚感であり、実のところは、ずっと兄弟がやることを見て、学んでいたから出来たことだったかも知れない。または、一匹狼が集う勝負の世界の中で、組織人としての異才が花開いた瞬間だったのかも知れない。

しかし、この独立と協会内での活躍は、六角の中に今まで気づかずに居た、こんな気持の種に芽を出すことになる。
八千代山に可愛がられていると思っていたが、実は彼は自分の可能性を制限していたのかも知れない、本当の自分にはもっと実力があるのではないか、と。

つづく

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