見出し画像

生きるって恐怖らしい

・高校時代の部活の同期たちと「飲み」にいった。この「飲み」にかぎかっこがついているのは、あまりにわたしにとって馴染みのないものだから。何を隠そう、「飲み」にいくのは人生で2回目だ。
初めてはフォロワーと鳥貴族に捧げた。(ウインク)

・新宿のよくわからん安い個室の居酒屋をめざし、迷いながら、てくてくと歩く。3年ぶりに会うやつなのだが、40秒くらい人見知りしたあとは昨日の続きみたいに会話することができた感触があった。かなりの(時間的にも、共同体的にも)断絶があるはずなのに、人間って不思議だぜ。

ありとあらゆる人がそうであるように、最近どうなのって話と思い出の話をしてたら、あっという間にラストオーダーのお時間となってしまった。

今回のわたしたちの気づきは互いが「丸くなったね」ということだった。中高という閉鎖的な空間と思春期のなかにあったわたしは、まあ、当然ながらクラスのほとんどと他の部活を敵と考えて、全方位にトゲをはやしながら、見えない何かと戦うように過ごしていたのだから、どうやら部活の同期から見たらわりかし怖く写っていたのだという。
これも自分としてはかなり心外で、確かに今より内に向いた性格だったことは認めるが、怖いと思われていたということは本当に考えたことがなかった。

それでもよく考えてみたら、内に籠る性格で、学校中を睨んでいて、そんなやつが演劇部の部長で、作演出だったら怖いわな、と、今はすこし思う。

・しかし、高校の自分といまの自分がそう変わったようには思えないし、何も変わっていないような気がする。けれど大学に進み環境が変わりまくっているのだから、絶対に変わっているはずなのはそうなのだけど……。
でも、なんていうか、実感として変わらないんですよ。わかるでしょ(?)
ずっと陸続きのまま生きてる気がする。いやそれはそうなんだけど。いまのわたしにとって、4歳のわたしや小学生のわたしは割と別人だなと感じるけど、高校生のわたしは別人とは思わないっていうか。

確かに、確かに、自分から遊びにいれてくれというようにもなったし、自分から仲良くなりたい人へと連絡を入れることもできるようになったし、(あくまで当社比)いろんな人と話すようになったし、好きな音楽や映画のジャンルも広くなってきた、ドラマも見るようになった。変化だな。確かに。

それでもどしても変わったとは思えない。いつまで経っても人と関わることへの恐怖心は拭えないし、己にはずっとうんざりし続けているし、それでも諦められないのはずっとそうなので、変わったとはとても思えなくて。

だけど外から見て、わたしがどちらかというと「変わった方」というふうに言われた。ので、そうなのかもな。どうしようもなく嬉しいような怖いような気持ちになったよ。

なんかよく「欅坂46さんが『生きるとは変わること』って言ってるからな笑 変わっていかな笑』って言うのですが、今初めてしっかりと「自分が知らない自分の変化が怖い」と思っております。

正直いまの自分を自分が一番理解できないからですねえ……。引きこもることなく、外へと出るのがそんなに苦ではなくなっていき、でも引きこもるのも好きで、人と会わないと、会話をしないとみたいな気持ちも初見で。
何も誰もがそうしなきゃいけないってわけではなく、あくまで自分の中のタイミングがそうってだけなのですが、本当に自分が解釈違いでしばらくビビっている。

どうやって生きていくのだろうか。

・世の中、知らないことが多すぎる。

・知りたくない気持ちと知りたい気持ちが同居しているぜ!!!!

・酒に酔う、ということがまだよくわからない。そういう部分も相まって、自分が実に無知な子供のように感じられる時が最近多い。泣いちゃお。赤ちゃんだし。人生の赤ちゃん。

・そろそろ寝るか。
今日12000歩くらい歩いたらしい。そりゃ疲れるわ。

ハバ・ナイス・睡眠

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?