私について1

簡単に自己紹介

1966年生まれ
出生時は2650gの黄疸のひどい赤ん坊だったが、3ヶ月めからムクムクと大きくなりだし、幼稚園時は背の順に並ぶと前の子より頭ひとつ違うデカい子供だった。

基本的に縦横大きい子供で、小6の春には158センチ。ただし、横の幅は広がるも背はどんどん周りに抜かれ、その後2、3センチしか伸びず現在に至る。

中学は、運動が苦手なのになぜかバドミントン部に。当時運動部の中でもキツイ部活といわれていた。社会の縮図のような小さい世界で絶望する。先輩におおいに嫌われた。意地で3年続けた。しかしこの経験から、どう足掻いても合わない環境は辞めるに限るという教訓になってしまった。

高校2年の6月にパニック障害になる。電車に乗れないどころか起きてられない状態に。絶えず気持ちが悪くて食事ができず2ヶ月で15キロ減る。
欠席早退遅刻が多く、留年の危機に。留年した場合に備えて4月の挨拶を考えつつ、テストで必死に進級する。
ただそこで燃え尽きてしまい、受験生なのに授業中こっそり泣いたりして全く身に入らず。「涙で教科書が読めない」などほざきつつ浪人。

某四年制大学に入学。朝の激混み電車に乗れず、駅のベンチに座っているうちに必修の授業が終わってしまう。
単位をボロボロ落とし、卒業まで最短で1年留年確実になった2年生の時に、親から「お金をドブに捨ててるのと同じ」と、授業料払わない宣言。
学費滞納で除籍。

体調がすぐれず、21から23まで家で過ごす。1度アルバイトをしたがうまくいかず、紹介してくれた中学からの友達を失う。

23の時に、知人からのアルバイトの話をもらい働き始める。事務(というか、留守番)と子守りが仕事内容。世はバブル景気だったが『守られていますか?あなたの最低賃金』という駅に貼ってあるポスターに書かれている時給だった。それでも収入があるのが嬉しくて、意に介さず「ルンルン」して職場に向かっていた。

(後に続きます)

#8050
#50代サバイバー

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