見出し画像

ババアが俺の目の前でマフラーを落とした

(とある日、会社の休憩室での出来事)



あ。


俺の目の前で、ババアがマフラーを落とした。
クリーム色にオレンジの線が入った、アクリルの安そうなマフラー。

俺は休憩室の一番壁際のソファに座っていて、ババアは俺の目の前を横切った。ババアに限らず、退勤して帰って行く人は皆俺の前を通る。俺は休憩時間この席に座ることが多い。

この休憩室は休憩室でありながら通り道みたいなところがあって、帰宅する人は皆この休憩室を経由して帰る。俺の勤務時間は14時から23時と夜型なので休憩も17時と遅く、その時間はデカい業務が何個か終わる時間なので、労働の苦しみから解放された人たちの色々な人間模様が見られて楽しい。だから俺は休憩室全体を見渡せるこの席に座ることが多い。

そんなことはいいとして、マフラーだ。

ババアは俺の目の前でマフラーを落として、そのまま少し先にあるテーブルの方へ歩いて行ってしまった。テーブルの上にデカいカバンを置いて中身をガサガサしている。

ババアというのは必ず、なぜだか知らんが、さっさと帰ればいいものをさっさと帰らず、まずこうやってデカいカバンをガサガサするところから始める。

一通りガサガサが終わったら足早に帰っていくが、その成果らしきものを俺はいつも見つけられない。中にはえらい長いことガサガサやってるな〜と思って見ていたら突然「あーっもう!!」みたいなことになって鼻息荒く帰っていくババアもいたりする。本当に意味がわからない。みんな何をしているんだ?自分で入れた物しか入っていないカバンなのに、何をそんなに把握できずにいるのかね?その薄汚いカバンの中に一体何があると言うのかね?マフラー?マフラーならここにあるぜ、ホラ。

そう、マフラーだけは俺の目の前に落ちていた。
だが俺は声をかけなかった。

落ちる瞬間も見ていた。ババアは摩擦係数が1のダウンを着ていたからそれを着た状態でマフラーを脇に挟んでいたからマフラーは重力に従って落ちた。しかもババアがそれなりのスピードで歩いていたからマフラーは慣性の法則に従ってババアに取り残されるかたちとなりババアのやや後方に落ちた。だからババアも、真下に落ちれば気付いたろうに、やや後方に落としたから気付かず行ってしまった。その一部始終を俺は視界の端に捉えていたが声はかけなかった。ババアは地球の自転と俺の不親切のせいでマフラーと生き別れてしまった。

なんで声をかけなかったんだろう?

完全に見えていたけど。「あ、落ちたな」って思ったけど。「このまま放っておいたら気付かず帰るな」って思ったけど。なんとなく放っておいた。落としたのが財布でも放っておいただろうか?財布?失くしたことある。すごく辛かった。財布なら声をかけたかもしれない。帽子なら?放っておく。手袋?放っておく。スーパーで買ったお惣菜パン?言ったかも。お惣菜パンは財布と同じくらいかわいそうな感じがある。帽子と手袋はなんかいいや。マフラーも同じ感じがする。でもこの中だと手袋は、ややかわいそうな感じがあるか。

手袋は手作り感というか、大事な人にもらったもの感がややある。正直手はポケットに入れとけば十分暖かいし、手袋なんて着けるとチクチクして鬱陶しくてロクにものも掴めないしスマホも反応しないし、とにかくさっぱりいいことがないから能動的に着ける人はいない。だから人からの貰い物で着けている人がほとんどである。つまり手袋は大事な人から大事な人へのプレゼントのことが九割だから、落ちている手袋はその思いやりごと落ちている気がして、いたいけな感じがして、惨めったらしい感じがして、それを放っておくことはできない感じが、ややある。

そう考えるとマフラーも同じかもしれない。手袋ほどではないけど、マフラーも手作り感というかプレゼント感というか、いつも頑張ってるお母さんに照れくさいけど中一のオレからプレゼントといった感じがある。

言われてみればそこに落ちてるマフラーも、中一男子が友達に見つからないように、日曜日の朝早くに自転車漕いで行ったイオンの2階で買ったマフラーに見えてくるから不思議である。中一男子はそんな所(婦人服売り場)でお母さんにプレゼント買ってるとこなんて友達や女子にはぜってー見られたくねーから一刻も早く買い物を終わらせてーのに、「えらいわね〜、母の日ラッピングがいいわよねえ?」などと老婆心を利かせた店員のせいでつい時間を食われてしまうのだった。

早くしないと、ここはエスカレーターが近いんだから。いつ何時、五中の不良どもがフードコートに向かうためそこを通るかわからない。リュウヤ達がすれちがい通信をやりに来るかもしれない。隣の下着売り場に仲村が母ちゃんと一緒にブラを買いに来るかもしれない。(…ここに思考の石を置く)

それなのにこのクソババアときたら、やれ金のシールだピンクのリボンだ、お節介で世話焼きなところとほうれい線の深さが俺の母ちゃんそっくりじゃねえか。俺はお前にマフラーを買ってやるんじゃないんだぞ?わかってんのか?なんでそんなに嬉しそうなんだよ。なんでそんなに、笑ったらびーって、ほうれい線が出るんだよ!このっ、ババア!!!!!

(思考の石を取りに戻る…)母ちゃんより仲村にマフラーをあげたほうがいい気がしてきた。うーん、仲村。女子の方が発育が早いって習ったけど、そうか、仲村。もう普通のブラ着けてたんだな。地味な仲村のことだからまだスポブラかと思ってたけど、そうか普通のブラか仲村。昼休みも誰とも喋らずひとりで本読んでるシャイな仲村のことだから、ブラもきっと控えめなんだろうな仲村。きっと母ちゃんと下着売り場に来るのも相当恥ずかしいだろうな仲村。ハハッ、俺と一緒だな仲村。こないだリュウヤ達とお前のカバン漁って「仲村まだおしめしてんのかよ!!!」って大声でバカにしてごめんな仲村。実は俺、おしめじゃないこと知ってたんだ。姉ちゃんの見たことあるから。多分リュウヤ達も。

なあ…まだ怒ってんのか仲村?もう許してもらえないかもしれねーけどさ、あんときの仲村の顔、本気で呪い殺してやるってあの顔、忘れられねーけどさ仲村、でも、せめてものお詫びだと思って受け取って欲しい。これから寒い季節になるからさ。ほら、カゼとかひくなよw


ババアの落としたマフラーからは、そんな複雑な思いやりの匂いがしないでもなかった。(申し訳ない読者諸君。諸君らはババアのマフラーじゃなく女子中学生の下着とおしめの話をいつまでも読んでいたいだろう。無論、私も諸君らと同じ気持ちである。)そう考えると俺は段々酷いことをしたような気持ちになってきていた。人から人への思いやりを足蹴にしてしまった気持ち。


俺が今までの人生でしてきたことで一番罪の意識を感じていることは歩道に飾られていたアイスキャンドルをかじったことだ。うちの街では冬になると、色々な小学校の児童が作ったアイスキャンドルがそこら辺の歩道に飾られる。俺はあの日会社の人と飲んだ帰りで相当酔っ払っていて、喉が渇いていて、アイスキャンドルを見つけるなり思い切りかじりついてしまった。アイスキャンディーじゃないよ、アイスキャンドルね。氷の小さいかまくらの中に蝋燭を灯すやつ。とにかく、なんでもいいから水分を口に含みたかったんだと思う。周りは雪だらけだったが、雪を食べると深部体温が奪われるから絶対食べるなとサバイバルの動画で外人が言っていた記憶があったから雪は食べなかった。今思えばアイスキャンドルだって同じだろうが、それでもどうしてもこの氷の塊の方をかじりたかったのだ。

だからかじった。周りに誰もいないのをいいことに、地面に膝をついて、ガリッとかじった。かじったというか削れた?小さい子供が一生懸命寒いなか、意味もわからず、シャカシャカの手袋はめてほっぺを赤くしながら作ったアイスキャンドルを、上と下の前歯で削った。今年も同じようにそこら辺の歩道にアイスキャンドルが飾られていて、こないだ日曜日だったかに近くを通り過ぎたら小学生と親が沢山集まって写真を撮っていた。「どれがミカちゃんのかなあ?」「これー!」っと、そんな尊い尊いことをやっていた。そのアイスキャンドルを四年前の俺は思い出ごとかじりとったのである。

俺も小学一年のときにアイスキャンドルを作ってそれを夜グラウンドに飾るから親と見にいくという行事に参加したことがあるから、あの照れくさいけどほんわかした、クリスマスみたいな、愛に包まれた空気は知っているはずだった。

そのほんわかを知ったうえでかじった。そのほんわかごとかじりとることで、子供時代の温もりを、アイスキャンドルみたいにほのかな温もりを、俺の内側に取り戻そうとしたのである。そんなことして歯が折れなかったのかって?俺は小さい時からばあちゃんちで干物ばっか食わされてたから、歯はめっぽう丈夫なのである!



人が一番罪悪感を感じるのは、人の愛情を足蹴にしてしまったときだろう。それは自分に向けられた愛情に限らない。自分の知らないところで、誰かが誰かを愛している。どれだけムカつく上司や使えない部下だって人の子だ。実家に帰ればお母さんがおかえりと言って山盛りのご飯でもてなされる。お風呂を沸かされたり、布団を敷かれたり、もう子供じゃないんだからと言いながらも、照れながらも、親にとってはいつまでも子であるから、彼はその愛情を一身に受ける権利がある。そんなことを考えると、嫌いな奴でも嫌い切れないところがある。

俺がババアのマフラーを拾わなかったことをこんなに後悔しているのは、そういうババアの人生を、ババアが受けて与えて、愛し愛されしてきた人生を足蹴にしてしまった気がするからだろうか。俺にはこのババアもババアの息子も心底どうでもいいはずなのだが、落としたマフラーを拾わなかっただけでこんな気持ちにさせられるのは何故だろうか。俺はババアに弁解したかった。


しかしこれは幼稚なナルシズムだろう。名越先生という精神科医がデトロイトビカムヒューマンというゲームを解説する動画をYouTubeで見たのだが、そこで先生は「罪悪感すら抱えられない未熟さ」という言葉を使っていた。身勝手で傍若無人なマネをしておきながら、すぐ謝ったり白状したり、美談にして自己完結させる。そうやって勝手に「終わった」ことにしないと先に進めない。そういう人は罪悪感を抱えたまま進めないほどに精神が未熟なんだとか。

まったくその通りである。俺は俺の罪悪感を抱えきれずここにこんなことを書いては弁解しようとした。思えばずっとそんなことをしている気がする。電磁波被害に苦しむ人を笑いのネタにしたかと思えば、顔が自分の母親に似ているというだけの理由から「あなたの苦しみがいつか救われることを心より祈っています」などとコメントを書いてしまったこともあった。本当に幼稚で身勝手なナルシズムである(笑)他にも、言いたくないけど同じ様なことを沢山してきた。反省すべきことばかりである。






ババアは結局自力で気づいて戻ってきた。カバンガサガサが功を奏した初めての瞬間である。となると、やっぱ言わなく正解だった気もする。余計な工数を減らせた。話す手間が省けた。結果論だが、これでよかった。ババアも俺も「よかった」って顔をしていた。ただマフラーを拾いあげたあとで、ババアは少しだけ俺を軽蔑していたような気がする。気付いてたのねって、私が気付かなかったらどうするつもりだったの?って、背中でそう言ってる気がした。



しかし不思議なものでこういう日はこういうことが続く。休憩を終えた俺は仕事に戻るため席を立ったのだが、3個隣のテーブルに無造作にスマホが置かれていたのを見つけた。他の荷物はない。俺の席から視界に入る距離だったが、休憩中誰かが座っていた記憶もない。…これは。


ババアに試されている気がした。ババアはもう帰ったが、俺の中のババアがこれみよがしに何度も何度も俺の目の前にマフラーを落としてくる。俺が拾うまで、拾って声をかける側の人間になるまで、ババアは俺の前にマフラーを落とし続けるつもりでいた。

なあババア。俺そんなに悪いことしたかな。元はと言えばお前が落としたマフラーだろ?お前がマフラーなんて落とさなきゃ俺も悪人にならずに済んだんだ。お前がマフラー落としたことで、俺の臆病さと薄情さが顕出したんだ。俺を悪魔にしたのはお前じゃないか。なあババア、あんたなら拾ったかい?俺を軽蔑したあんたなら、拾って声をかけたのかい?ずるいよババア。そりゃないよババア。俺ばかり試されるじゃないか。でもそうなんだろ。そういうことなんだろババア。俺が俺の悪魔を殺すまで、お前はマフラーを落とし続けるんだろう。













そうかいババア、わかったよ。























テーブルの上のスマホをどうしたかって?

悪魔はそう簡単には死なないのである(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?