見出し画像

山田悠介は正気なのか

先日、仕事について記事を書いた。

僕の仕事はざっくり言うと不動産会社のコールセンターなのだが、最も比重の大きい業務は電話ではなく作文である。もちろん電話も受けるが、その一件一件の内容を過不足なく報告書にまとめてクライアントに送るという部分が最重視されている。

この報告書がとにかくひどい。うちの職場には大体20〜30人ぐらいのオペレーターがいるのだが、そのうち手直し不要な報告書を書けるのはせいぜい1人か2人である。

報告書には抑えるべきポイントがいくつかあるが、最低でも客の要望は何か、窓口ではなんと回答したか、ぐらいは業務内容を全く知らない人でも書けそうなものなのだが、実はこれすらまともに書けない人が殆どである。

何が変なのか。変な文章の変な部分を真似することはとても難しいが、たとえば

客「もしも〜し」
オ「はい」
客「なんかあ、駐車場あるじゃないっすか〜アパートの〜。それでえ、自分はちゃんと契約してるんすけどお、隣の奴が契約してないのに停めてるっぽいんでえ、注意してくださいっていうか〜、退去させてほしいっていうか〜」
オ「契約していない方が勝手に停めているんですね?」
客「はいなんかあ〜、自分は契約したときにい、番号を変えろって言われたんでそうしたんすけど〜、3番の人はそれやってないっぽいっていうか〜、だから契約してないんじゃない?とか思いましてえ〜」
オ「かしこまりました」

という会話があったとする。この問い合わせ内容を報告書にまとめると、

内容:お客様より、物件駐車場3番に車を停めている方が、本当に駐車場を契約しているのかお知りになりたいとご連絡が御座いました。

とすればよい。詳しいヒアリングができていない部分(番号を変えろって言われた云々)は仕方がないので省略し、客の個人的な感情(注意しろ、退去させろ)も別に書かなくていい。しかし実際に現場でこれがどうなるかと言うと、

内容:お客様より、3番に駐車している方は番号を変えていないので契約していないのではないかとの旨仰せで、お客様は番号を変えて契約している為していない3番の方は駐車場を契約していないのではないかの旨仰せで、お客様は3番の方に注意するか退去してほしいの旨仰せ。

みたいなことになってしまう。
大袈裟だとお思いかもしれないが(実際少し大袈裟だが)殆どこんな感じである。本当にこんな感じのキチガイじみた文章がそこらじゅうでポンポン生まれてくる。「〜の旨仰せ」とかいうヤバすぎる日本語を、本気の丁寧語だと思って乱用している奴がまあまあな数いる。若者だけじゃない。40代50代のジジイババアが揃いも揃って正気みたいな顔して、正気みたいな雑談して、正気電車で出勤して、正気飯食って、いざ報告書を作り始めると病気になってしまう(笑)

笑い事か?
今この瞬間にも大量の怪文書が日本中の不動産会社にばら撒かれている。不動産業界を多忙たらしめている悪因はこの怪文書なのである。いつまでも直らない共用部の電球切れや雨漏りも全部この怪文書のせいである。無くならない過労死も鬱病も全部怪文書のせい。怪文書の読解に時間が費やされ、労力が費やされ、人員が費やされ、経費が費やされ、全ての怪文書を読み終える頃には営業が終了している。クライアントは業務委託することで楽をしようと思ったのにかえって仕事を増やされている。

これほど公利に背く行いをしているというのに、ジジイババアは「ふー今日も忙しかったわい」みたいな顔して正気電車で帰っていく。正気か…?

貴方達は……いや!!テメーラは!!立派な”犯罪者”なんだぞ…?爆破予告犯が法で裁かれて、どうしてテメーラが許される。爆破予告犯の方がずっとわかりやすい文を書くぞ。だってテメーラの書く文じゃ爆破予告って伝わらないと思う。
じゃあ無罪じゃん、よかったね。

ところで、人間は言語を使って思考する。人が何かを思考するとき、それは自分自身との会話によって行われる。これを内言語といって、言語習得前の赤ちゃん以外は、思考活動の大部分がこの内言語によって成り立っている。つまり、考えられないことは話せないし、話せないことは書けないのである。話す場合と書く場合、人によってどちらのアウトプットが得手か不得手か僅差はあれど、基本的にそれらは思考の鏡と考えてよい。

つまり先ほどの例には嘘がある。適切な文章を書ける人は適切な思考に裏打ちされた適切な会話、適切なヒアリングを行えるはずなのだ。先ほどは適切なヒアリングを行っていないにも関わらず適切な文章を書く例を最初に示したが、あれは本来起こり得ない。作文障がい者は何が必要な情報かを考えられないから、何を聞いたら良いのかわからず、結果ぐちゃぐちゃした文章が出来上がる。だから先の例のようなヒアリングしか行えないオペレーターなら、報告書は必然的に二番目のものになるはずなのだ。

これを痛感した例は山ほどあるが、ジジイババアばかり槍玉にあげるのもフェアじゃないので若いやつも血祭りにあげようと思う。ふむふむ、とびきり若くて頭の空っぽそうなのが居るなあ。テメーの名は…そうだな、アバズレにしよう。アバズレは19歳の看護学生でくしゃみの五月蝿い女である。突然「ピチョン!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と鳴いて周りの反応を窺うヒヨドリみてーな女で、可愛くくしゃみをすることに全神経を使っているから一向に鼻のゴミクズが取れず何度も何度もくしゃんでいた。そして何度もくしゃむことで「えっ、これ本当のくしゃみですけど?」と目をパチクリしていた。くしゃみで場を制していると思っている顔をしていた。

可愛いくしゃみができなさそうな日は休んでいた。「喉が(かわいいくしゃみが)痛いので(できなさそうなので)休みます(休みます)」とよく電話してきて、仕事をサボって家に1人で居るときは「ブエックショオオオオオオオイアホンダラチンカスボケェ!!!!!!」とやっていた。

男は女のくしゃみなどどうでもいい。
くしゃみが可愛いからと言って焼肉を奢ったり、ヴィトンのバッグをあげたりしない。減点対象にはなっても決して加点対象にはならない。むしろくしゃみがあまりに演技っぽいと「鼻の穴が汚そうだな…」という衛生不安が生じかねない。アバズレの欠勤報告が全部本当の体調不良だとしたら、それこそくしゃみがいい加減だから菌を追い出せていないといういい証明になるだろう。

それから、そのくしゃみを何歳まで続けるのかという問題もある。
くしゃみが自然になるのはいつなのか。今は若いから多めに見られているけど、これを40代でやっていたら結構しんどい。女は客観性で生きているところがあるからアバズレもそのことには気が付いているだろう。ある朝急に切り替えるのか、ランチ明けに切り替えるのか、40歳の誕生日ケーキのロウソクを切り替えたくしゃみで消すのか、そのとき「煙が鼻腔に染みませう」とかなんとか言って誤魔化すのか、いつもそればかり悩んでいた。

いずれにしてもそれまでの人間関係を一度リセットしないと、くしゃみを切り替えたことは容易にバレてしまう。ホントどうすんの?

どれだけグラデーション的に、

ピチョン→ピクチョン→ヒクチョン→ハクチョン→ハクション

と切り替えていっても「ヒ」が「ハ」になった辺りで確実にバレる。クシャミのバリエーションの数だけ職場や環境を鞍替えするつもりか?19歳の娘にそんな覚悟があるとはね、びっくりしちゃった。

さて、これからする話にここまでのくしゃみの件は一切関係ない。
まあちょっとぐらい関係あるか。このバカ女が如何にバカ女かということを読み手に伝える為には必要なエピソードだった気がする、ちょと長かったけどね😅

その日、アバズレは最後の電話を受けていた。
18時退勤のシフトで17時50分に鳴った、アバズレ的にはその日最後の電話だ。俺はアバズレの隣に座っていた。俺はえらいので電話は取らずジジイやババアやアバズレが質問してくることに答えるだけの仕事をしていた。あとの時間はずっと水を飲んでいた。

最後の電話で保留を取ったアバズレが俺に質問してきた。

ア「なんかあ、宅配ボックスが空っぽなのにい、全部使用済みで〜、開けられなくて困ってるってゆってるんですけど〜」
俺「開けられないのにどうして空っぽってわかるの?」
ア「…………。じゃなくてえ〜、空っぽなのに全部開かなくて〜、使えないってゆってるんですけど〜」
俺「だから、開けられないのにどうして中が空っぽだってわかったの?憶測?それともその人が間違ってロックしちゃって開かなくなったとか?」
ア「…………。えー!おもしろーい(笑)!ソレ聞いたほうがいいですか〜??」
俺「はい」

保留中に交わされた会話は概ねこのような内容だったと思う。
少しわかりにくかったかもしれないので整理すると、客は物件共用部についている宅配ボックス(荷物を置き配する為の保管庫みたいなやつ。宅配業者が設定した暗証番号を知らないと開けられない。)を使用したいが、全てが使用済みになっていて開けられなかった。しかもどれも中身は空っぽなので不用に使用制限されている、という苦情が今回の内容である。

僕がしきりに気になっていたのは、客の言っている「開けられない」と「中身は空っぽ」が同時に成立している背景である。言葉だけ聞くと矛盾しているので普通はありえないが、長期間使用済みのまま放置されていてそう思ったのか、自分が間違えて空っぽのボックスをロックしてしまったのか、はたまた

ア「ほら〜〜、宅配ボックスに小窓が付いてて、そこから中が見えたって言ってましたよお〜。疑いすぎですって〜〜(笑)」

そう、答えはこんなに簡単なことだった。なんてことはない。ボックスに窓が付いていただけだ。そこから中が見えて、客は開けずとも中が空であることを知ったのだ。な〜んだ。どうしてこれだけ簡単なことを思いつかなかったのか。自分が宅配ボックスを使用したことがないからイメージが湧かなかったのかもしれない。だが、



疑いすぎ?



これが引っかかった。
俺は何かを疑っていたわけではない。保留を取ったアバズレに質問されて、純粋に客の言い分が矛盾しているように思えて、その疑問を解決したかっただけだ。アバズレが小窓のことを確認しその情報を残さなかったら、きっと報告書を読む人も同じ疑問を抱くだろう。報告書を読む人は電話の録音を聞けない。何も知らない人が読んでも一連のストーリーがわかるように書くのが報告者の責任だ。じゃないとまた報告書を読ませるだけで不動産の営業時間を終わらせてしまう。電球と雨漏りもそのままだ(過労死と鬱も)。俺は責任を果たしたまでだ。俺は報告書を読む人の気持ちになって確認したまでだ。




それをッテメーはッ!!!!!!!!!!!





「疑いすぎ」とはっ!!!!!





!!!!!!!!!!!!!!!!!




ぐがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


























ここでこんなこと書いている時点で圧倒的に俺の負けなのだが、俺は自分がこっち側で良かったと思っている。宅配ボックスが「開かない」のに「空っぽ」だとか言われた時、その二律背反に思い至らないようなズボラで間の抜けた低脳人種とは一線を画す側で本当に良かった。その気持ちに偽りはない。そしてアバズレも、あのアバズレでさえ、「どうして開かないのに空だとわかったの?」と聞かれたとき、刹那、ほんの一刹那だけ光が差し込んだような目をしていた。それは真理をつかれた人間の目だった。「貴方様は、そのたった一本の針でダムを崩壊させるというのですか…??そのたった一つの問いだけで、この卑しい私たち(アバズレと客)を真理にお導きくださるおつもりでおわしますか…??」という目をしていた。

しかしこのブスはコロナも終わったってのに四六時中マスクを着けているブスだった。マスクをしていると八割ぐらいマシに見えたが、まあどんな目の当てられない顔面公害もマスクを着けると大体八割ぐらいマシになるものだ。ブスもその1人だった。だからブスにはマスクの上だけで育んできたプライドがあった。マスクの上だけを見せて、マスクの上だけでチヤホヤされて、育んできたプライド。ブスは専門2年だから入学した頃はまだ皆当たり前にマスクを着けていた。多分専門の男子達はブスの顔をマスクの上しか見たことがないだろう。そうして育まれたプライドが邪魔をして一刹那だけ差し込んだ真理を手放してしまった。本当は感謝を言いたいはずだった。気付かせてくれてありがとうを言いたいはずだった。笑顔を見せたいはずだった。しかしブスのプライドはそれを許さなかった。ブスはプライドにもマスクを着けていた。

ブスはバイクが好きだった。出会い系で知り合った男にバイクの後ろに乗せてもらって、宅配ボックスみたいに頭を空っぽにしてただただ高速をかっ飛ばすのが好きだった。考えることは嫌いだった。”かんがえるなかんじろ”という言葉がブスのお気に入りだった。というか名言的なものをそれ以外知らなかったし、「かんがえる」も「かんじる」も意味はよく分からないけど、でもなんとなく自分にぴったりだと思っていた。性格診断でもなるべく感覚派っぽい答えを選んだ。結果が気に入らないと何度もやり直して、ブス的にしっくりくるのが出たら「まんまで草」とコメントを付けてストーリーに投稿した。そんな自分にはバイクでかっ飛ばす趣味がピッタリだと思っていた。まあマスクをしたまま乗るので、少し息苦しいのだけれど。

ブスはバイクが好きな女は総じてバカだと気付いていた。だってユウリもそうだしサキもそうだし、うちだってバカだし。でも頭がいい女はなんか怖い感じがしてモテないと思っていたから、バカだけど可愛くて、可愛いのにバイクが好きな、永野芽郁ちゃんみたいなギャップのある女に憧れていた。安藤なつもバイクが好きみたいだけど賢いし化け物みたいだし、そうじゃなくてあくまでも永野芽郁ちゃんがモデルなのだった。男に「女の子なのにバイク好きなんて安藤なつみたいだね〜(笑)!」と言われると内心ムッとした。「永野芽郁ちゃんみたいだね!」と言われるとマスクの下でパァッ!と笑った。ブスは「永野芽郁ちゃんみたい」と言ってくれる男であれば誰とでも寝た。すっかり永野芽郁ちゃん気分で、男に対しても「永野芽郁(自分)を抱かせてあげる」とまで思っていた。ブスはアバズレだった。

そんな自分と瓜二つの永野芽郁ちゃんにも欠点があった。それはバカなことだ。永野芽郁ちゃんはよくわからない変な高校の通信制卒であり、本も山田悠介しか読んだことがないとテレビで言っていた。そもそもバイク乗りだ。バイク乗りはバカと相場が決まっている。バイク好きと公言する女は唯一人安藤なつを除いて全員バカなのだ。顔を見ればわかる。だってユウリもそうだしサキもそうだし…ってほら!こんな短時間でもう話がループしてる!ブスはアバズレでバカだった。

ブスはムカついていた。今日の仕事で、よくわからない変な背の小さな男に論破されたからだ。ブスはただ宅配ボックスを開けられないお客さんが困っていたから助けてあげたいだけだったのに、変な小男に「開かないのに空っぽってどうやってわかったんですか?」とか、言われた。ブスはそれはどうでもいいことだと思ったのに、ブス的にそれは別にどっちでもいいじゃんってことだったのに、小男が得意になって詰めてきやがって、周りも皆笑っていた。ブスがバカみたいに。そう、そんな簡単な矛盾すら気が付けなかったブスのバカさ加減にブスはムカついていたのだ。

そんなブスの目に、ブス電車のブスシートに座るブスサラリーマンのブス本が目に入ってきた。難しそうな本だ、きっと私には一文字もりかいできない。きっと漢字がいっぱい書いてあって、パソコンとか、哲学の本だろう。

…哲学?

哲学ってなんだろう?当たり前に聞き流してきた言葉だけど、どういう意味か知らないでいた。世の中にはこういう、よく知らないけど当たり前にしていることが、たくさんあるんじゃないだろうか?
ブスはブス電車に揺られながら人生で初めて”哲学”していた。

「私も本を読めば、あの小男に勝てるかな。」

でも私はブスでバカでアバズレだから、きっといきなり哲学の本なんか読めやしない。まともに本を読んだのも学童保育にあった怪談レストランが最後だし、それだって挿絵のページばかり見ていた。かといって今更怪談レストランを読み直すわけにはいかないしな…。



怪談レストランと哲学の間の本…
活字の本…
活字だけどバカな私でも読める本…






















「最後まで残酷というのは嫌なんですよね。どうしても救いを作ってあげたくなっちゃうんです。僕、優しいから(笑)」ー山田悠介



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?