看取りをする覚悟
5/25は母の87歳の誕生日
平均寿命を生きた母
もう頑張らなくてもいいよ
4/26に外傷性くも膜下出血で入院した母は、入院直後は少し話せたけどあっという間に言葉が出なくなり、意思の疎通も難しくなっていた
それでも目では私を認識していて、何も言わなくても視線は合って言葉は理解できているようだったが、GWが明けた頃には目の焦点も合わずどんな問いかけにも反応しなくなっていた
口からのミキサー食も取れず鼻からの経管栄養に切り替えられていたが、それさえも吐いてしまうようで、ほぼ点滴に頼っている
あっという間に痩せた母が痛々しい
先日主治医から「延命措置」についての書類を渡させた
救急で入院した時にすでに提出していたが、今回のものはかなり細部に渡っていた
家族とは「延命措置はしない」事を話し合ってはいた(母も「絶対に管に繋がないで」と自分で言っていた)けど、現実に直面して、改めて「延命措置をしないということがどういうことか」を話し合った
つまり、それは昔ながらの自然に死を受け入れること
食べられなければ 飲み込めなければ、水を口に含ませるくらいしかできない
呼吸ができなくなっても人工呼吸器も使わない
数年前に 施設で「看取り」をするNHKのドキュメンタリーがあった
だんだんと静かに死に向かっていく母親と見守る息子
医師が「老衰が一番苦しくなく安らかな死」だと説明していたのが印象に残っている
他の家族が親戚の反対で本人の意志の延命拒否を撤回され2年半苦しんで苦しんで亡くなったのをみてきたのでそんなことは絶対にしたくなかった
(当時は口約束のようなものだけで、書類のやり取りはなく いざとなったら 駆け付けた親戚が「このままほっとくのか?」と医師に詰め寄り気管挿管されてしまった
母は高齢でここに書き切れないくらいの病気と既往症、認知症…
どう考えてもここから元気になることはありえない
父は「もうかわいそうな姿を見れない」と面会もできなくなった
私は会って(10分しか面会できないけど)父のことやたわいもない事を耳元で独り言のように 頭を撫でながら手を握りながら話している
何かで「耳は最後まで聞こえている」と聞いたことがある
脳の機能としてというだけで母は理解できていないかもしれないけど…
「看取り」ができる施設を見つけられたらそちらに移る予定だ
その時には鼻の管も点滴も外される
そこから弱っている人は1ヶ月かからず亡くなるそうだ
いくつになっても母親が亡くなるという現実を前に(覚悟はできていたのに)やはり動揺している
私がしっかりしないと、父も支えないと
がんばれ、わたし!
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