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父の誕生日、今後…

先日、2/21は実家の父の誕生日でした。
なんと九十歳!!
文字に書いてみると本当にすごいな!
『パパ お誕生日おめでとう』

今まで認知症はなく肺気腫と年齢的な肉体と記憶の衰えはあるものの、なんとか一人暮らしを始めてほぼ1年経ちました。

母は昨年のお正月明けから入院し、6月からは施設にお世話になっています。
もう多分私のことは覚えていませんが、施設の職員の方に本当によくしていただきながら静かに穏やかに過ごしているようです。

そして義父もコロナ禍直前から施設にお世話になっています。
認知症と13年前に脳梗塞で左半身麻痺になり、車椅子生活をしていますが、介護度が上がり今までの施設では対応が難しく退去の話が出て、昨年末から必死に探して なんとか「2〜3ヶ月後には」とある施設から先週連絡をいただいて少しホッとしているところです。

…そして今年は父の今後を考えていかなければならなそうです(もう昨年から思って来ましたが、他の2人の方が優先順位が高かったので…)

親は気がつけば歳をとっているものです。元気でも頑張ってくれていると思い込んでなんとか先延ばしにして来ましたが…今より改善するわけではない生活を、今後どうしていったら良いのか?いつまで なんとか現状を維持して1人暮らしさせるのか?考えても考えても答えが出ないのです。

父は「なんとかやっていくし、ぽっくり死んでしまっても もう充分生きたから気にしないで」というけれど、1人で亡くなってしまって翌日まで気が付かない(場合によっては数日)なんて、想像すると…こちらが凹みます。

認知症のない自分の身の回りのことをまだできる(と思っている)老齢男性に「施設に入れ」とはなかなか言えません。(ここでの想定はお金持ちが入る自由に暮らせるステキな老人ホームではなくて、老齢基礎年金しかもらえてない一般庶民がなんとか入れるいわゆる介護施設です)
でも2階への階段は登れなくなり、趣味の庭いじりもほぼできなくなりました(酸素が手放せなくなり、ポータブルの酸素ボンベを引きながら庭木の世話はなかなか難しい)
いっそすべて枯れて仕舞えば諦めもつくのでしょうが、何十年も丹精を込めた盆栽が必死に生きているのをみると…切なくなります。

昨年秋に「寒くなる前にガスヒーターを使えるようにガス業者に工事の依頼をした」と聞いて今頃?と思ったけど(古い木造家屋はエアコンだけでは寒いので)灯油のファンヒーターを長年使っていたのだけど、灯油を買うのも入れるのも大変になり「それは仕方ないね」と話しながら使うのは今季だけかもと頭をよぎりました。
(多分本人はまだまだ住むつもりなのです)

「自分は頭はしっかりしてるから」というけれど、置いたものがどこかわからない。言ったことを覚えていないのはごく普通のこととなって来ました。
役所の書類や郵便物も1年前までは自分で読んでいましたが(結局1人では手続き書類をポスト投函しに行くことさえ出来なくなったので)「全部読んでやってくれる?」と渡されるようになりました。
小さな家の1階部分と月に1〜2回の病院だけが父の世界になってしまいました。
デイサービスも行きたくないんです。体力はなくプライドはあるから。(それと、長年母の介護をして来たので、やっとホッとしてのんびり生活できているのかもしれません)

話をするのは週に一回のヘルパーさんと私だけ。
このままでいいのか?
どうしたら?

結局答えは出ないまま日々が過ぎていきます。




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