1+1がせめて0.001になって欲しい 〜私が求めている未来は、ドラえもんではない〜

1+1が2になる。これは当たり前だ。
けれど、私が普段電車のなかで考えていることをどれだけ足し合わせても、1年分足し合わせても、2どころか、0.001にもなっていない。
技術が進歩して、できることが多くなり、欲望も大きくなった。
昨年春に食べたあれを、今年の春にも食べたい、という欲望なら、畑に植えて世話をすればそれで何回かに1回はうまくいくかもしれない。けれども、電車の中でストレスなくすごしたい、とか、電車の中で趣味を思いっきり楽しみたい、とか、そういう日々思い、なんとかしようと考えていることは、どうやって達成したらいいか分からない。

ずっと待っていれば、同じことを思っていたすごい人が解決してくれるかもしれない。……これが、21世紀なのだろうか?

できることは素晴らしい装置を誰かが開発しない限り増えていかないのか?

私たちができることは、ここ20年で大きく増えた。写真・動画は誰でも簡単に撮影・編集できるし、誰でも記事を書き世界に発表することができる。スマホがあれば決済も電車に乗ることもできるし、手作業だったものがどんどん自動化されている。

コンピュータでできることが増え、それが小さくてどこでも使えるようになり、一気にできることが広がった。
だから、私たちはこう考えるようになっている
5年後、10年後にはすごい装置ができて、世の中が変わるんだ、と。

できることがとんでもなく広がった。だけど、欲しいものは曖昧になり、誰かがいつか達成してくれる、と思うようになった。

誰もがいろんなことをできるようになった。だけど、それを達成するのはコンピュータであり、スマホであり、まだ見ぬ新しい装置であり、それらを作り上げる遠い世界の技術者だ。
できることは増えたけど、それは自分たちには到底できないもので、ちょっと頑張っても形にすらならない。形にならないものをいくら足しても、形になることはない。

こんなものが欲しい、という思いを自分で形にしていける、せめて、一日30分を1年頑張ったら何かの形が残る、そんなことが気軽にできる世界は来るのだろうか?

こんなものが欲しい。そんな思いを遠くの誰かが叶えてくれる。世界のどこかにドラえもんがいる。21世紀というのは、こういう世界なのだろうか?
それとも、こんなものが欲しいという思いを、少しの努力と周りの人の共感・協力でどんな人でも形にできる、そんな工夫に満ちた時代がやってくるのだろうか?

すごい技術者はどんどん素晴らしいものを作り上げていく。
その一方、多くの人はただそれを受け取るだけ。
まるで、ドラえもんのような、未来。
そうではなくて、多くの人も自分の夢や思いの達成に参加していける、そして、一人ひとりの努力を足し合わせたとき、せめて0.001になっているような、そんな夢の達成のしかたの革新は起こるのだろうか?

ドラえもんのような未来観、ではない、別の未来観を2020年代の私たちは見ることができるのだろうか?

最後までお読みいただきありがとうございます。私たち大学院生にとっては、多くの人に実情を知ってもらうことがなによりの支援になります。普段の会話やSNSで大学院生について話題にしていただけると大変ありがたいです。