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知らなくても書けない、知り過ぎても書けない

小説書くたびに、唐突に「これって、どうやるんだろう?」と作業を中断して調べはじめることがあります。

囲炉裏ってどうやって使うんだろう。あの炭火の中どうやって鍋置くの? 精進料理って一部肉みたいな食感のものがあるけど、あれってどうやってつくるんだろう。高野豆腐を使うらしいけど、本当に味も肉に近いの? 煤払いって正式な方法あるのかな。あれって年神様をお招きする儀式だったよね。などなど。

あらかじめ知っていればそのまま書けばいいだけですが、一行書くごとに調べないと書けないという部分にぶつかることも、ままあります。
取材でがっと出かけられればいいですが、取材に出かけられなかったら自分で調べてなんとかするしかありません。

でも知り過ぎていても書けないことはあります。

知り合いのパティシエは「お菓子つくってる中でぐだぐだされると「うるっせえ! 遊びじゃねえんだ、そこでラブコメすんじゃねえ!」ってなって集中できない」と、カフェの従業員の恋愛小説を集中して読むことができないと言っていたのに、私は「ああ……」となりました。

歴史専攻している人の中には、歴史の矛盾点を見つけたらどうしても集中することができず、結果として時代小説が一切読めないという人もいます。

知り合いの活字中毒者も、あまりに本を読みすぎるのが原因で、ファンタジーものでのお約束でなんでもつくれる能力も、「経済がどうなっているのか気になって集中できない」と斜めにかっとんだことを言ってくるので、ほどほどって言葉は必要だなと思います。

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