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才能のないピアノ弾きのぼやき

姉のレッスン開始とともに購入したのか、
私が物心ついたころにはアップライトピアノが家にあった。
バブル景気の前くらいだろう。
中小企業のサラリーマン家庭でも、どんどん物質的に豊かになっていった。

なんでも姉の真似をしたがるタイプの妹だったので、ピアノもいつからかセットで習い始めた。

母がピアノに憧れをもっていた、というのが背景にある。ほとんどのおうちがそうだったのではないか。

車社会というほどのマイカー保有率もなく、
あんまりお育ちのよくないエリアだったわりに、

ピアノやエレクトーン、水泳、習字などの習い事は結構な割合で子どもたちがやっていて、

子どもが自分らで行ける距離に数々の教室があった、ということだろう。
平坦で人口の多い町のメリットである。
親も楽だっただろう。

学年の中にピアノを「弾ける」子はザラにいて、合唱コンクールとなれば伴奏で、その格の違いを見せられたものである。

私はピアノを習ってはいたが、「弾ける」子ではなかった。
練習に身が入らないため、一向に上達しなかったのだ。
発表会が市民会館のホールで年一であるので、
そこは形にしないといかんからいつもより練習したろうけど、
レッスン当日にしか弾かない週もあるような不真面目極まりない生徒だった。

なんせ防音の家でも、野中の一軒家でもないので、弾ける時間が母の感覚で決まっていた。

9時から20時である。(現在の我が家も同じ)

当時は私もかなりのテレビっ子で、ゴールデンタイムに子ども向けの番組も豊富な時代だった。

みたいアニメを差し置いてまでピアノを弾きたいとは思わない子どもだった。(録画機能もなかったし)

ピアノの先生に嫌な思い出は幸いなくて、でも先生が大好きというわけでもなく、お互いに淡々とレッスンを受けていた。

そして小五で辞めた。
なんでだったか忘れたけど、別に嬉しくも悲しくもない記憶なので、家の都合だったのではないかしら。

姉はだいぶ前に辞め、私の妹も私と同時にやめたので、家のピアノを弾く人は誰もいなくなった。

弾きたくなっても、私は楽譜を読んで弾いてなかったので、弾き方を忘れてしまったらどうしようもなかった。

とりあえず音楽の才能とかもあまりない上に、
努力の才能もあまりなかった。

電子ピアノの今となってはアコースティックピアノを毎日弾けるなんて夢のような話だが、
あんときはそのありがたみなんかこれっぽっちもわからなかった。

耳が育つ、とか、芸術的な表現のために、とかで、お子さんのためにアコースティックピアノの購入を勧められるらしい。

ピアノに関しては聴く方もあまり熱心にしなかったので、微細な違いが正直わからないけど、

トランペットに関しては「音色を聴け」の指導の割合が多かったので、楽器の個体による音の違い、とかを聴き分ける機会もあった。
勿論、個人による音の違いも。

それも、高校にあがってからで、
中学の部活はもう音が出て、ピッチを合わせて楽譜をさらえたら御の字の世界だった。

目指す音楽のレベルが違うと、
指導の仕方もかわってくるだろう。

持ってる楽器がいいものだからといって、
それを活かせる指導が出来る人がいなければ、
子どもが勝手に耳が良くなったり、
芸術性を高めたりは出来ないんじゃないかな。


お子さんがピアノを始めるにあたって、アコースティックピアノがいいか、
電子ピアノがいいかで迷うご家庭もあるだろうけど、

個人的には先生のレッスンでアコースティックピアノが弾けるなら、家では電子ピアノでいいんじゃない?と思う。

迷うくらいなら多分プロの音楽家を育てるって感覚じゃないんだろうし、
正直、聴く方も訓練されてないとそんなに微細な芸術感覚はわからない。


アコースティックピアノの方がいいのはわかってる。
身体への響き方も違うし、タッチも、音も違うのは、間違いないけど、

ピアノを長期的に楽しむ趣味にするにはまず、楽譜が読めて、
指が訓練されてなければしょうがない、
と今もう一度学び直してて痛切に思う。
 

アコースティックピアノは
デカいし重いし、高価で、メンテナンスもいる。入門したばかりの人が持つにはバクチのようなものではないかと、
今なら思う。
手放すのも大変だ。
昔は電子ピアノの選択肢もそんなになかったから仕方がなかったとは思うけど。

ピアノを始めるなら電子ピアノで様子見て、音楽性を追求しそうなお子さんならアップライトを中古で買ってあげたらいいのでは。
行き場がなくて処分を待つアップライトピアノがあちこちに存在してる時代だ。

ネット上には「電子ピアノはアコースティックピアノの代わりにはなり得ないから、電子ピアノを買うべきでない」という趣旨のコメントが散見されて、

最初からアコースティックピアノを与えられた身としては、
そのおかげで耳が育ったのかも、芸術性が鍛えられたかも、自他ともに証明しようがなく、
肩身が狭い。
高校時代の吹奏楽には育てられたけど。

自分が気持ち良いだけでなく、
聴く人が心地よい音を出すことを指導する大人がいなかったら、アコースティックだろうが電子だろうが、騒音だ。
耳を育てるのは楽器だけじゃない。
指導者や保護者の感性も大きく関わってくる。
マナー教育も大切だ。
気まぐれに3時間おきにメチャクチャにひかれたら、どんな素晴らしい楽器でも昼間だって立派な騒音だ。でも子どもは気まぐれで、音色かまわずメチャクチャに弾きたいときもあるから、そこは電子ピアノとヘッドホンで発散させてあげたらいいのでは、と思う。

そして、
ピアノで自己表現というのは、
別に耳が肥えたクラシックファンの聴衆を納得させるレベルじゃなくたっていいじゃない?

と個人的には思う。
才能がなくとも、簡単な曲でも楽しく堂々と弾く人が増えたら、世界はもっとハッピーになるような気がする。
街に楽しい音楽があふれる。

逆に今、心を解放したり、慰めるための手段として、
好きな時間に練習ができる電子ピアノの存在にとても救われている。
これをいつか、アコースティックピアノで弾くんだ、と夢を見られる。

電気製品なのでいつか壊れるのはとても切ない気持ちだが。

そんなんピアノとは言わない、みたいな人には
「言わせておけばいい」とも思えるようになった。
幼いうちにいい楽器を与えられるのも、
微細な感覚を聞き分けられる耳を育てられたのも、
自分の努力じゃなくて、親や周りの環境のおかげだし、望んでも叶わない人もいる。

それを得た、得られなかったを誇ったり嘆いたりするより、
限られた条件の中で、どうやって自分なりに音楽を楽しむかの方が大事な気がする。

実際、ピアノ経験がなく、中学から吹奏楽を始めたのがきっかけでプロの管楽器奏者になった人は少なくない。
結局、耳とか音感とかって、ある程度の生まれつきのセンスと、楽器以外の聴力の訓練と(自然の音に耳をすますなど)本人のやる気と指導者に恵まれる運があれば、なんとかなるんじゃない?とは思う。(絶対音感は訓練がいるけど…絶対音感なくても音楽のプロはいる)

出会いとやる気があれば、音楽をやらずにはいられなくなる気がする。音楽は楽しいから。
人間に与えられた最高のギフトの一つだ。

下手だろうが、耳がよくなかろうが、難しい曲ををひけなかろうが、
私はピアノを弾くのが好きだ。
だから弾き続ける。

どの条件の人もプレイヤーとして自己表現を気軽に楽しめる音楽が世界に広がれば、
もっと楽しくなる、と思う。



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