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気枯れ
ケガレという言葉は
「穢れ」のほかに「気枯れ」という意味の音らしい。
血の穢れの時や、
忌中は、
その人の気が枯れている。
そういうときに無理に人前や、
居ずまいを正していくような場所に出て行かなくていい、
という優しさなんだ、という話もある。
子どもたちの学校の用で、昨日も今日も学校へ。
とても短時間で、
特に気鬱な用事とかではなかったのだが、
すごく疲れた。
埼玉から高知に戻って、今日で5日目か。
月、火と仕事に行き、今日はようやく家のこと、
と思ったが、見事に疲労が出てきた。
この冬一番の寒波という背景もある。
外に出て行きたくない身体をギシギシと動かして、
学校に行き、帰ってきて
またじっと止まって
またギシギシと動いて
2回回した洗濯機に報いるためコインランドリーと買い出しに。
じっと黙って、じっと暖かいところにいたい。
実家であれこれとコマネズミのように動いていた自分が嘘みたいだ。
あの勢いで実家の半分以下の面積の自分ちを片付けたら相当キレイになると思っていたが、どうやらアドレナリン過剰気味の私の仮の姿だったらしい。
子どもの級友たちの顔と名前を11月までにだいぶ覚えた気になっていたが、
今日久しぶりに眺めて見たら、あんまり思い出せない。
いつもなら知ってる他の保護者の顔に自分から声をかけていくのに、今日はしんと動きたくない。
馴染みのスーパーでカートを押していても、何をどのくらい買えばいいのか、よくわからない。
というか考えたくない。そういうときはとりあえず鍋ものにする。
眠ってるし、食べてるし、
どこも痛いわけでもないが、
ふらふらと元気がない。
気が枯れている。
冬枯れの土のように静かにだまっていたい。
母は私の一部だった。
私が生まれた家の、
小さな小さな庭に
小さな森になるような
小さな私たちを包むように多種の草木を植えたのは
小さな私たちを
草原の花摘みに連れ出してくれたのは
母だった。
私が草花を、木を、虫を、土を愛しているのは
母が小さな私をその中に置いてくれたからだ。
母の身体は消えても、
私の中の母はなくならない。
それでも、今は気枯れてしまった。
とはいえ、
じっと冬眠できる身の上でもないので、
静かに春を待とう。
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