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いのちのおわりに

お世話してればこのままの状態でずっと生きられるような気がするのだけど、

それは家族の希望的色眼鏡で、

客観的にみれば長くはない状態なのは
覆せない事実なのだった。


人が1人生きていくというのは、

何人もの人が関わるということを私が実感したのは
自分が子どもを産んで育ててからで、

そして老いて病んで死んでゆくのもまた沢山の人に大きな影響を与えるものなのだと

自分の親を前にいま感じている。

与えられた条件の中で、
よく生きたと思うし、
身体がくたびれて疲れたら
休めばいいと思う。

身体がなくなって同じ次元で交流できなくなるのが寂しいだけで。

でもだんだん、
そんなシンプルな気持ちの他に、
いろんな葛藤を自分が感じてることに気づく。

人の人生は、人と絡まり合う。

私は実家から遠く離れた場所で日常は生活をしていて、
私の夫や子どももそこで沢山の人と絡まりながら生きている。

私の姉妹も距離は違うけど、同じ状況だ。

家事と母の介護の隙間に、
家族の病の証のような、
家のあちこちにパンパンに詰められた思い出や、用途不明なモノたちを
ひたすら分別している。

帰省のときいつも片付けたいと思っていて、
でも叶わなかったことだ。

きっと私がここにいる間に終わらない。

気軽に通える距離にいないことに葛藤する。

そんなささいなことをはじめ、
色んなことに葛藤している。

三姉妹なので決して一人で抱えてるわけではないのだが、

私は私の課題として
自分が生まれた家族の形の終わりに
向き合わざるを得ない。





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