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シスターの最後のイカ焼き

母の父方の叔母はカトリックの修道女だった。

私が生まれてる2年前に帰天(クリスチャン用語の逝去)しているので、実際にどんな人だったのかは

断片的に聞くしか知らない。

京都と東京にある所属会派の女子修道院を統括する立場の人だったそうで、

私の母ともいとこにあたる祖母ともイメージが被らない。
母の実の父にあたる、シスターの兄とも、
聞いた話とは全然違うタイプの人に感じる。

太平洋戦争前にカトリックのシスターになること自体は浮世離れしているといえばそうなのだけど、
リーダーシップをとるには
メンバーからの信頼を得るための地道な行いが必要な気がする。

シスターを知ってる人は「さっぱりした頭の切れる人だった」と口々に言うので、
ものしずかな姐御肌のイメージを私は持っている。

母のベッドからはまっすぐに壁にかかったシスターの写真が見える。

帰天する前に最後に母のもとを訪ねたシスターは自ら買い付けた大きいイカを持参して、
「イカ焼きをつくってほしい」と希望したそうだ。

その話を母から以前何回か聞いていたが、
母の希望する食事のメニューを訊くにあたって、
再びその話を聞いた。

「きっと外国人ばかりの修道院では洋食ばかりでイカ焼きとか食べられなかったんじゃないのかしら。」
と母は言った。

修道院は日本にあっても外国人のシスターが多かったそうだ。
確かに味噌汁と納豆とか食べてないのかもしれない。

母の父と叔母であるシスターは岩手でも海の方の久慈の侍浜(さむらいはま)の出身らしい。

裕福な家だったそうだけど、日常食べてるものはやっぱり近くで獲れたイカとかだったんだろう。


修道院でもイカは焼けただろうに、
故郷の味を知る人間と一緒に食べようと、わざわざ埼玉の姪の家まで持ってきたのかもしれない。

私の母も祖母もまた「イカとカレイで育った」八戸の海の幸の子どもだったのだ。

私は物心ついたころからこの壁に掲げてある、
日本では非日常的なシスターの衣装をまとったおばあさんが一体誰なのか、
私たち家族にとってどんな存在なのか謎だった。

最近ようやくわかったのは、
私が思う以上に、
母にとってこの人は
亡くなって45年経つ今も敬慕するに値する存在だったのだということだ。父母以上に。

でも母自身は気づいていないように思う。

このシスターとは叔母と姪という血縁ながら、母が初めて会った記憶はもう高校生になった頃で、
そんなに濃密な行き来はなかったようだ。

(もしかしたら母の記憶にないだけで幼い母に会っていたのかもしれないが)

それでも不思議なことに

私の記憶では小さい3姉妹をひきつれて埼玉東部から多摩地区の墓地まで電車とバスを乗り継いで毎年墓参していた。

母がそういうことをする人はシスター以外にいなかった。

母のいいつけどおり、イカを4はい買って、しょうゆとみりんにつけてジップロックにいれた。

竹串をさしてグリルで焼いた。



そしてみんなに切り分けるように言われたので、そうした。

母は「美味しい」と言ってくれた。

母は宗教をもたないが、
母の魂が身体を離れるときはシスターが迎えに来て欲しいと
陰ながら私は願っている。

迷わず天国に行けそうだ。




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