四十九日
色んな人が色んなことを言う。
死んだらすぐに魂は浄土や天国に行くとか、
死んでからもしばらくは魂が生きてる人たちのそばにいるとか、
死んだら四十九日でお迎えとともに彼岸に渡るとか、
色々。
結局、死んだ後のことは死んでみないとわからない。
ただ遺されたものの体感としては、
四十九日が、
心と身体の一つの嵐の終わりなのは感じる。
パッと晴れたり凪いだりするわけでもなく、
薄雲からチラチラと陽が見えたり、弱い風が安定して吹く時間が増えたり、
だんだん、徐々に、そんなもんだ。
母が終末期に入ってから不安定だった睡眠が、ようやく朝まで目覚めずに眠れるようになったり、
出かけたり仕事に行ったら、その時は元気でも、その後倒れたり、昼寝が必要だったりが、
そうせずとも良くなった。
愛が深ければ悲嘆は免れない。
私はずっと勘違いをしていた。
母がいつか死ぬことも、母の葬式を出すことも、想像し、自然の理として仕方のないことだと受け入れることが「覚悟」だと思っていた。
私がしなくてはならなかったのは、
「愛していれば、その深さの分だけの、失う悲嘆は免れることは出来ない」という
事実を受け入れ、
自分の悲嘆の状態への準備だったのかもしれない。
今まで大事な人を亡くした誰の心にも寄り添えていなかったようで、申し訳なく思ったし、
自分の未熟さが仕方のないことのようにも思えた。
そしてこれからも間違わずに出来るかはわからないけど、
自分がしてもらって良かったことを、これから悲嘆に出会う人にしていこうと思う。
正解はないけど、とりあえず。
身体の嵐の中で、埼玉に帰ることは厳しいと判断したので、
高知の自分の家族だけで、
四十九日の供養をした。
私が母の健康祈願をしていたお寺に生前のお礼と祈りを。
太平洋に向かって、母に音楽を。
悲嘆の衝撃は免れない。
それでも、生きる為に体と心は癒える方向に向かっていく。
それぞれの時計の速度で。
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