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神の御子は今宵しも

プロテスタントの幼稚園に通っていたので

このシーズンはクリスマスの讃美歌を歌った。

讃美歌は通年歌うのだが、

クリスマスになると

「これは街でよく流れてるやつ」とわかる歌になる。

幼児が歌うので、音程がとりやすい言葉もわかりやすい歌を選んでだと思うのだけど、

「いとやすく」(きよしこの夜)

「もろびとこぞりて」「しゅはきませり」(もろびとこぞりて)

など、

なんで急に救いの神子の話から「糸が安い」話題になるのか、とか

「もろびとこぞりて」に至っては

全編理解不能な古語で意味もわからずシュワシュワ歌っていた。

それでも幼児教育とはやはり有効なようで

クリスチャンではないけどクリスマスになると讃美歌を歌いたくなる。

大人になれば不可解だった歌詞の意味もわかる。

世界の救い主の誕生を祝う気持ちというより、

子どもを産んでみれば

うちの子もよその子もどの子も赤ちゃんは

神の御子だし、

かつて私たち大人もそうだったのだと思う。

私自身クリスチャンではないので

クリスマスは宗教的な思い入れはないが、

子どもたちの幸せを祈る日にしている。

そんな気持ちで口ずさむ。


世界中に争いや飢餓や貧困は絶え間ない。

報道に取り上げられている場所だけに悲劇があるのではないことに

義務教育でそこにたどり着けたらいいのにと思うが、

私がそれに気づいたのは大学の頃だった。

一見お金がかからない主流メディアや政府のいうことを信じていたら

目隠しをされて誘導されるように

何も知らない大人になっていく。

そして遠い国ではなくて、

もしかしたらすぐ隣に悲劇はあるかもしれないのにね。

大人になり

知ったところで全ての悲劇に無力であるのもわかる。

無力さを受け入れて、

それでも自分のできることを一つ一つやっていくことを思い出す

祈りの日である。

https://youtu.be/oKEcUXIHu34


イザヤ書 42:3

また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。








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