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【留年柱もりうち】留年しました。


どうも、もりうちです。


ご存知の通り私もりうちは
4年で大学を卒業することができず
現在大学5年生として過ごしております。


そんなもりうちがなぜ学校に行かなくなり
そしてなぜ留年してしまったのか
甚だ疑問だというお声をいただきましたので(いただいてない)
今回このような形で表明させていただきます。


私もりうちは福津という田舎で生まれ
見渡す限りの晴天の下で太陽の光を浴びて育ちました。
休日は田畑を駆け回り用水路に落ちるような
無邪気な少年でありました。



夏には歩いて海へいき
高校生になると自転車で一山越えて
高校へ向かいました。


時はすぎ20歳もこえ
大きくなった、ある程度の思考力と
将来について薄々と考え始めた頃


僕は大学を留年しました。




この冒頭部で分かる通り
私もりうちの地元は超ド級の田舎です。


最寄り駅までは自転車で40分
車で15分、徒歩2時間半。
もはやもよってないんです。


一応、家の目の前にバス停があるものの
バスは一日五本。
ないようなものです。


と、いうことで「もりうち留年しました。」
その理由①最寄駅が遠すぎる。


入学当初は免許を持っておらず
バスで学校に通ってました。


帰りのバスの終バスが
19:30すぎだったので5限が終わったら
ばったばた帰らないとバスに間に合わなかったので
サークルとかバイトする暇もありませんでした。


見事に大学デビューに失敗して
インキャライフになります。




ってゆうてもこんな厳しい状況の中
ちゃんと大学を卒業した人もしっかりといます。
なんなら一人暮らしすればよかったはず
こんなものはただの言い訳です。


てことで、「もりうち留年しました。」
その理由②自分の力を過信していた



僕は高校の時、地元では割と有名な
進学校に通っていました。


国立に進学することを正義とし
それ以外は悪とした教育をする
まぁよくある進学校でした。



だけど周りは結構国立目指して
勉強してて、九大、たまに京大みたいな
学校でしたね


まぁもりうちはしっかりと底辺を
彷徨っました。


センターの点数なんて450くらいしかなくて
それをを友達に教えるのが恥ずかしすぎたもりうちは


点数を大幅に盛り盛り632点と書き提出。


正味国立なんてどこも受からなかったんですが
謎に第一志望熊本大学と記入



そして死ぬほどのE判定なのに
熊大を記念受験(どうせなら九大にしとけ)


しっかりと落ち
福岡大学に後期試験入学を果たしました。


私大の前期試験は受けさせてはもらえず
っていうよりは
「その点数ならセンター利用の方がいいね」
って言われて


西南と中村のセンター利用を受ける。と、
受かるはずもない受験をしてました。


しかし、なんか知らんけど
福岡大学の後期試験に合格して入学。
浪人したくないという思いが福岡大学に
きっと伝わったのでしょう。


ただこの後期入学っていうのが
このアホに勘違いをもたらします。


後期入学って倍率が10倍くらいあるのが普通で
それを突破してしまったんですよね
僕は数学が壊滅的にできないですけど


福大の後期試験は国数英から
2科目選択!数学は受けなくていい!
そして国語も漢文なし!


この上ない状況で見事に
狭き門を突破したのです。


それが故に自分を特別な人間と
勘違いしてしまった、アホなもりうち。



「ふふふ、俺はお前らとは違う
 なぜなら後期入学だからだ!」


と言わんばかりにドヤ顔で
学校生活を送っていたのですが


大学1年の前期が終わった段階で
もりうちは気づきました。


福岡大学は、1、2回目の講義と13、14、15回目
つまりは最初と最後の講義に出れば
単位が取れちゃう。(そんなことない)


という謎理論に気づきました。
っていうよりはまじでそれ以外の講義には
人がいないんです。


真面目に前期に通っていた僕は
15回目の授業の人の多さに驚きを隠せませんでした。
「この講義こんなに人いたっけ。。」状態


てことは「僕もそいれでいけんじゃん!」
そう思ってしまいました。


しかし、先にも述べましたが大学は情報戦
そのやり方で単位を取っていくのは
友達が多すぎて困っているやつ。


僕は完全に自分が陰キャラであるということを
忘れていました。


大学1年の後期そして2年に渡り
なんの情報も持たずして、
テストを受けていた僕


独学で大学の講義を受けるのは
死ぬほどむずいです。


テスト前に訪れる謎の自信
あれが開き直りだと気づくのに
2年の時がかかりました。


もちろんテストは惨敗
大学2年時の取得単位数は14単位
わずかな希望を残しほぼ確定した
留年へと足を進めました。



そして最後もりうちを留年へと
追い込んだ最後の理由


「もりうち留年しました。」
その理由③全く関係ない勉強をしていた。


そんなもりうちですが夢がありました
「......割といい暮らしがしたい。」


そうです、僕は
お酒を飲むとでかい夢を語るタイプのやつ
でした。


田舎者でありながら実は
キャッチしてるやつとか大学でなんか
怪しいビジネスやってお金持ってるやつに
密かに憧れていました。


表向きには死ぬほど馬鹿にしてましたけど。


そこでお金稼ぎについて死ぬほど
勉強したくて、当時流行っていた
「ネットビジネス」という言葉を
死ぬほどスマホで調べていました。


楽に稼ぐ方法はないか
学生のうちからお金持ちになる方法はないか
とにかく調べました。


これが大学2年の後期の話です。


そんな時に1人の男に出会いました。
瀬戸ってやつです。


少数のゼミみたいな講義、多分
外書講読っていう講義だったと思うんですけど


そこにギラッギラのブランド物の
帽子とバック持った青髭のぼっち(瀬戸)がいて
関わらないようにはしてたんですけど
僕もぼっちだったんで話しかけられて仲良くなったんですよ


森「君はお金持ち?」
瀬戸「いや!元貧乏だよ!!!」
森「だって、、、ぶらんど、、、。」
瀬戸「興味ある???」
森「おん。」


そう言って僕はまんまと
怪しいセミナーに連れていかれ
スッゲーーーーーーってなりましたけど


アコムに行って
初期費用100万円を借金してこいって
言われて


わかりました!!と言い放ち
逃げました。


まじで怖すぎ。。


まぁだけどそこから
ちゃんと勉強しよって思ったすわ


じゃないと一生口だけの人生で
一生理想な暮らしできない


大学に入っていろんな資格取ったり
留学行ったり、人にはできない経験をして
いい就職先を目指そうって思ってたけど
蓋を開けてみれば自信過剰な痛いやつでした


だから今から動かないと
今、行動しないと、きっと先はない
普通の大学生活を送るのもよし
普通に就職するのもよし


普通は人それぞれ違うのだから
自分にとっての普通の生き方を見つけよう。


そんなこんなで東京行ったり
沖縄行ったり、山口行ったりして
いろんなこと勉強して


自分のオリジナルの人生を作ってたら
今、しっかりと留年しました。


まぁほんとアホだなぁって思いますけど
長い人生の中で、学生期間が一年伸びただけで
そんな痛手でもないかぁって思ってます笑


得られた物大きいし
価値観も大きく変わったなって思います。


今は休学してるんで
大学復帰は後期からだけど
後半年間また経済についてお金について
哲学や倫理観について勉強しようと思います。


絶対卒業しよ。
あ、学費は自分で払ってます。。。。


というわけでこんな僕の話に
付き合ってくれてありがとうございました。
定期的に更新していきます
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