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初恋はままならぬ・・

歳を取り、あの世が近くなると時折、ふと
忘れていた若い頃の一場面を思い出すことがある。
あれは私が20の冬だったと思う。
九州の実家を出て横浜のテレビ製作所に就職し、2年目の正月、私は初めての帰省だった。白いシャンタンのスーツにグリーンのスーツケース、当時、24時間かけて、寝台列車での帰省。電車通りのやたら看板だけが大きい古びた写真館そこが私の実家だった。
家族、特に母は喜んで迎えてくれた。
職場で仲良くなったMちゃんと言う友達も、熊本に帰省しており、長崎に訪ねてくる約束で、振袖の和服を着てやって来た。可愛い彼女との、記念写真を父が撮ってくれ、今も手元にある。彼女が椅子に座り横に立っている私は少し痩せて、表情が暗い。その理由も、思い出した。
彼女が熊本に帰り、私も横浜の寮に戻る日が近づいた。
久しぶりの実家は懐かしく、狭く、古い家でも居心地の良い場所だった。店の前は電車通りの商店街で、隣がラーメン屋その先が床屋、不動産屋、そして、ガラス屋と並んでいた。6年前15歳でここに移り住んだ私はいきなり同居となった気難しい父との生活だった。物心ついてから我が家には父が居なかった。中学生の兄を頭に6人の子供と母子の生活は貧しいものだった。父がもどってからの写真館もまだ経営は苦しく、小さな金庫には千円札のお釣りがない日が多かったので、私は、札を手に急いで市場に買い物に出た。市場はガラス屋さんの先にあり そことの往復は毎日の事になった。
そんな事だったので、市場の気のいいおかみさんもたまには「あんたんとこは、よう千円札ばっかしあっとねぇ」と、皮肉を言った。
千円札で、豆腐一丁買って、恥ずかしい思いで帰る道すがら・・
ガラス屋さんの前でよく、お店の従業員の青年達が配達の荷造りをしていた。オートバイの後ろの荷台に板ガラスを入れた木の箱をしっかり結び、配達に出ているのをよくみかけた。
そんな日々を送りながら自分の店が以前はそのガラス屋さんだったことを知った。今は場所を変え、大きいビルになったガラス屋には額縁等も置いてあり、写真屋にはつきものの額縁なので、父はよく出向いて親しいようだった。
そんな生活だったので母は早朝から働きに出ていた。私は下に3人の弟妹らの世話をしながら店の仕事と、洋裁学校と、慌ただしかったがそんな中、心にほのかな思いが芽吹いていた。

ガラス屋さんの前を通るとよく見かける青年と、時折目が合うようになった。
真面目そうな青年、Sさんは、夜、経理学校にいっているらしい。ガラス屋さんには一人娘がいて、末妹と同年で時折、そんな情報が耳に入った。
神経質な父との同居もそんなささやかな出会いでほぐれていった。
会ってすれ違うだけだったが救われていた。そして、1年近く経ったある日、いつもの道でその青年の方から、
「こんにちは」と、声をかけてくれた。
その日は眠れないほどうれしかった。
あれは、初恋 だった
それから19歳になるまで、出会えば挨拶の日々、殆ど話らしい話はなく、心をかよわせるきっかけもないまま時は過ぎた。お互いに惹かれて気にはなっていたが、若く、幼く、目立った進展もなく時が過ぎていった。母が仕事をやめ、スタジオに専念してくれ、私は働きに出た。
感じやすい年頃で、父との生活から抜け出したかった。幼い頃から絵や漫画を描くのが好きだった私は中学時代から横浜にある通信教育を受けていた。
父の元を離れ、「仕事ができたら母を楽にさせられる」
そんな思いから長崎を出ることにした。心のどこかに、
Sさんへの思いを残しながら、私は19で旅だった。
そして、2回目のお正月だった。商店は正月三ヶ日は休む。
ガラス屋さんも、閉まったまま松飾だった。青年の事をふと思いながら、心は4日に帰る横浜に向いていた。
新しい恋が芽吹いていたのだ。それは、思うばかりで苦しく、叶う望みの薄い恋だった。
それでも、帰りたかった。
土産がなく、軽くなったスーツケースを持って、路面電車で国鉄の駅に向かった。切符を買い、待合室のソファーに座った。
しばらくすると、声をかけられた、「こんにちわ、帰っとんなったとですか?」
Sさんだった!!
どんなことを話したかは、よく覚えていない。直ぐに汽車の時間になって、じゃあ・と別れたのだ、
偶然に、出会った?
2年ぶりに帰って?


そして数年後、絵も、恋も、中途半端なまま
私は長崎に帰っていた。
正しく生きる事にとても、疲れていた。ガラス屋さんにはSさんの姿はなかった。
そんな心を癒しながら、写真業を手伝い暮らしていた。適齢期を過ぎた私に父や兄が縁談をもってきた。
その度に断った、そんな気にはとてもなれなかった。ガラス屋さんの奥さんは以前から、何かとお世話をしてくれた。今回も「以前店にいた子が今はアパートを経営してしっかり生活してるらしか、会うてみらんか」と父もいう
確かに、あの人の他に何人かの青年たちが働いていたのは知っていたが、お金持ちになってるから会ってみろと言われても、その気にはなれない。ふしぎにあの人ではないかという気持ちはさらさら思わなかった。
どうしてなのか、あのSさんが1人でいるはずがないと、訳もなく 思い込んでいた。相手の名前さえ聞かず断ったのだ・・
その数年後、たまたま店で受けた出張写真の整理をした中の一枚に、あのSさんが写っていた!ガラス屋さんの何十周年記念のパーティーだったらしい。
着飾った女性達の後ろの壁にグラスを持って壁に寄りかかっている。楽しそうでもない、どちらかと言うと、寂しそうだ。それは、昔のまま、端正な面立ちだ。
しばらく心が騒いだ。しかし、会う術もない。いまさら、会う理由もない。
しかし、何十年たっても、あのころの場面の
一コマ一コマが私の中にある。
時という透明ガラスの向こう側に映し出される初恋の思いで。
その後、出会った人と私は34歳で結婚した。
いつのまにか
70歳を過ぎた。
あの時、見合い相手の名前を聞かなかった後悔だけが残っている
もし願いが叶うなら・・
あの場面のどこでも良い、タイムスリップして、あのSさんに、無言で謝りたい。私の独りよがりの思いだから言葉を出しようもない
けれど・・。

#もしも叶うなら

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