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バスツアーに参加してほしい人

まっとうに生きていた時の私

私は毎週日曜日には子供とあちこちにでかけてはあてどないドライブ旅をして、何なら身軽な友人と友人子供も巻き込んで、暗くなっても次の行き先をさがしているような残念な大人になりました。

体は大人、中身は子供。
迷走探偵逆コナン!!

全然いばれるこっちゃないですよね〜なんかすんません。

でも以前はそうでもなかったです。
ここ数年はコロナということもありましたが、よそさまを誘って私のあそびに巻き込むことに異様なハードルを感じていたり、一緒に遊ぶのは家族の構成人だけ〜みたいな妙なルールをひたすらに守っていた気がします。

プールと動物園と公園と児童館をローテしまくって、ずっと子供の監視をする。
それが全然おもしろくなくて、おかあさんってほんと暇やなってずっと思っていました。
車運転中のDVDもずーーーーっとおかあさんといっしょだし。
かといって子供が昼寝をした隙にレゲエをかけても全然盛り上がらない。
ジャイメイカの至宝ボブ・マーリー、ブンバ・ボーンに惨敗の日々ですよ。

私の人生終わっちまったわけではないと思いつつ、いつまで子供の尻を追いかけ食事と睡眠が足りているかご機嫌伺いをたて続けないといけないんだろうと打ちひしがれた気分になっていました。

かわいい子供がいて、お家も買って、車も買って、大切にしてくれる旦那さんがいて、大好きな地元に住んで。
これ以上何かを欲しがるのはばちあたりではないのかと思っていても、いつも何かが足りていないと感じていました。

全然ごはんを食べない娘にちまちまと手のかかる幼児食を作り続ける日々。
血圧と筋力をコントロールしたいからといってパッサパサの鶏しか食べない旦那。
私が食べたい献立を作ることなんかありませんでした。
ほんとうは麻婆豆腐を食べたい私なのに。
そんな熱くて辛いものを大量に作っても「僕は食べない」と言われることが目に見えているから作りません。

麺類を食べるときは私のぶんは必ず冷えていて、のびていて、アルデンテなんてないでっせ。
毎日ごはんを作りながらいつも、自分の作ったごはんがおいしいかどうかすらわからなくなって、毎日変わり映えのしないメニューを生産し続ける日々。
他の人の作ったあったかいごはんを食べたいなと思っていました。

牛乳を注ぎ、ごはんをよそい、汁物を適度な温度に調整する。
麦茶を作り、コーヒーを淹れて、おにぎりをにぎる。
水筒を洗い、弁当を洗い、また明日も水筒を満たし弁当を詰める。

このひとたちが何が好きで何が嫌いか何時に寝たいか何時に起きたいか何を見たら笑い何をしたら怒り何をすれば笑顔になるのか全て把握していて、とにかく家が快適なように、足りないものはないように、家族の喜びが私の喜びだと信じて疑わなかった日々が、一応私にもありました。

でもふとよぎる、私って一体なんだったかなという刹那。

べつに納期に追われている訳でもないのに本がいっぱい並んだ本棚の本を取り出してソファで読むなんていう時間を楽しむこともせず。
やりかけの刺繍をとりだして、子供の帽子にちくちくと糸を刺す時間を作る訳でもなく。
ひたすらにひたすらに家族を喜ばせることだけを目指した結果、家庭が突然崩壊しました。

こわ!
こわいですね〜なんか文章にすると。

だけど自分自身でもその時まで、自分が自分を生きていないって全く思えてなかったということにすら全く気づきませんでした。
自分が何が好きかもわからず、遠慮ばかりしていた気がします。

こんな人の参加を待っている

そう、遠慮。

いまだにします遠慮。
いちおうします遠慮。
うそつけお前って思っているかもしれませんが、けっこうしてます遠慮。

お前そういってもこないだのあれはなんなんやとかって思ってつっこみたくなっている人がいるとしたら、遠慮はしてはいけないと思っている私が何回かメールやLINEを消したり書いたりしてそれでもどうしても言いたくてなんか勇気を振り絞ったら突然の行動に出てしまったやつだと思って赦してやってください。

そう遠慮。

一体誰の人生を生きてるんやと。
私は私の人生を生きてるんやなかったんかということです。

遠慮って美徳なんです日本では。
でもそれって自分の欲望を美徳の裏に隠している訳ですから本当は美しくないわけですよね。

気が利かないやつだと思われたくないし、空気を読まないやつだと思われたくないし、いい子ねできるねってほめてもらいたいから遠慮をしているわけです。

こうなるとほんまもんの見た目は大人中身は子供です。
はずかしながら、そんなこともわからずに40過ぎまで生きてきたようです。

なので私はいろいろ遠慮をしている人をみかけると、自分を重ねてしまってものすごーーーく心配になるのです。

大丈夫ですかあなたと。

誰かに遠慮して生きているんだろうけど、それあんまりすると自分を見失ってしまうんよとわかっているから、その握りしめた拳をゆるめてあげたいと思うのです。

おいしいものをおいしいと思えて、まずいものはこれまずいねん食べてみいやと笑いあえる友人がいて、困った時には困っているから助けてと素直に言える環境があるのかなと。

遠慮をして生きている自覚がもしかしてないのかもしれないけれど、遠慮しすぎてそのうち生きていくことすら遠慮してしまいそうな人。
自分の人生を誰かのうしろにうしろにかくしていって、そのうち消えて無くなっちゃいそうな人

お母さんであればご自身ががいなくなるわけにはいかないと思うだろうとお考えかもしれませんが、ところがどっこい自分で自分が見えなくなった人には自分の存在意義が見えなくなっちゃうから、きっとこのままいなくなってもいいのかなってふと思ってしまう瞬間があってもおかしくはないんですよね。

手伝いましょうかと言う言葉に、いえいえ大丈夫です!!!!!!!!!!
とびっくりマーク10個で返す人。

なにかをもらうことが苦手で、手にした瞬間お返しもののことを考えてもらった嬉しさよりもお返しの負荷のほうが重くのしかかる人。

家族に手伝ってほしいのに言えないまたは言っても手伝ってくれないので、結局自分でやってしまって仕事がいつまで経っても終わらなくてストレス溜まってる人。

そういう人なんですよね。

そういう人はぜひ、旦那さんと子供さんたちを一泊二日のバスツアーに参加させてください。
ご家族のことは責任を持って楽しませるのでどうぞご心配なく。

そしてご自身は家で惰眠をむさぼってウーバーイーツを頼んで夕方くらいから映画を見に行ってください。

ベッドに大の字で寝て翌日はアラームをかけずに起きたい時間に起きて、洗濯なんかしないで、お化粧もしないで、スタバでモーニングコーヒーしばいてください。

温泉にいってすきなだけ風呂に入ってゆっくりしてください。
美容室に行って、時間がかかるパーマもトリートメントもしっかりしてもらってください。
エステに行ってもいいし、マッサージに行ってもいい。
ネイルでも、スパでも、マツエクでもなんでも。
自分のために時間をお金を使ってください。
自分のために自分が大好きなお花を買ってください。
大好きな音楽をかけて、鼻歌を歌いながら、海沿いを走って今日の海の色をみてみてください。

どれだけ自分が自分をなくしているのか。
どれだけ自分が見ていた世界に色がなかったのか。
そういうことに気づく貴重な時間になると思います。

そして自分がどれだけがんばってきたか。
どれほど心をすり減らしてきたのか。
ほんとうは何を手に入れたかったのか。
どんなことばをかけられたかったのか。

それがわかったらまず自分をハグして、いちばんかけられたかったやさしいことばをかけてあげてくださいね。
そうこうしていたら夕方になって、家族が帰ってくる時間になるでしょう。

宮崎駅にお迎えに行って、夕ごはんは外で食べて、家族がそろう時間の素晴らしさをまた再実感してください。

できるだけたくさんの人に参加してほしいけど多くの人に囲まれることで遠慮をしてしまうような方には、自分が何が好きだったのかを見つめ、心がほぐれる時間をできるだけ長く堪能してもらいたいと思っています。

子供とたのしい遠足の思い出をつくりたいけど運転したくないし酒飲みたいしごはん作りたくないし子供とずっと一緒にいるのもまあまあしんどいからバスツアー参加するわっていう遠慮と無縁の方のご参加、もちろん大歓迎です。
こういう人は今の私ととても仲良くなれると思いますのでぜひご参加ください。

あと遠慮する人だけどくまちゃんも歴史も神代もアートも好きすぎてキュンキュンきてしまっているひとは逆に家族を家において、ひとりで参加して私と友達になりましょう。

もしもこの文章を読んでいて、あのひとに…というお顔がよぎった方は、きっとその方にこのバスたびのことを教えてあげたほうがいいかもしれません。
どうかおすすめしてあげてください、その方の旦那様とお子さまたちにも☺️

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