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【反映え主義】映えとは・反映えとは


「映えてまっせ! 通天閣」
@gloriosa_pluie
(夜船注:キラキラ系ではないけれど、大阪通天閣の「映えている」写真をお借りしました 笑)

 こんにちは、【#反映え主義】提唱者夜船(おはぎ)です!

 前回は、【反映え主義の手引き】の導入部として、概要およびどんな風に使えるかをお伝えしました。

 今回は、「映え・反映えとは」と題し、#反映え主義における「映え/反映え」の扱いを解説します。

 長文ですが敢えて目次を設けておりません。ご熟読頂くためとご理解ください。


 それでは、まず「映え」について考察して行きましょう。

 インスタグラムに端を発し、あっという間にSNSを埋め尽くすようになったムーブメント、【映え】。

 まず、前置きしておきましょう。反映え主義は、美麗な写真自体に反旗を翻す立場なわけではありません、と。

 単純に美しい何かを撮りたいという思いは、きっと誰しも感じるであろうもので、反映え主義はこれをゴリゴリに否定するものでは決してありません。


 「見た目や色にインパクトがあるよ? 映えてね !?」

 【反映え】を実践しているとよく出てくる問いなのですが、いいえ、それは違うのです。

 インパクトではなく、その写真が過剰にキラキラしているかどうか、そして、商業活動・消費活動に根差しているかどうかがキーであると考えます。

 物品やグルメ、さらに形はなくとも、エンターテインメント、ひいては自己を「売る」ために過剰な綺羅びやかさで演出された写真、さらには商業主義に乗せられて撮るような写真であれば、それは【映え写真】であると言えるでしょう。

 こぞって行列してでも撮りたいと願い、巧く撮れればチヤホヤされて幾千のいいねが付き、フォロワーがぐんぐん増える写真が、【映え写真】です。
 
 映え写真は、美しく、時には圧倒される事もあるけれど、商業・消費行動に根差したものである以上、手軽なエンタメ・ファッションとして、ただ消費されて廃れていくでしょう。

 例えば、どんな綺麗なパッケージで物を売っても、箱自体を手元に取っておく人は稀ですよね。映えとはただそういう性質のもの。

 商いをする側からしたら、こう言えるでしょう。
 映えなければ消費されることもない、つまり「何も生まない」「何らの価値もない」と。【映え】がなければ商業活動が回らない、それが世の中ですから。

 もう一つ分かりやすい例を挙げるならば、「この写真を使えば販促に繋がる、客を呼び込めるから、対価として金を出して買おう」と思わせる写真は、映えて居ると言えるかと思います。
 
 但し、良い悪いの話ではありません。

 大多数のメインストリームに受け、当たり障りなく心地よいけれど……。そんな写真が流れては消えていく。
 しかし、その価値は絶対的なものでしょうか? 

 繰り返しますが、良し悪しではない。けれど、本当に実(じつ)を伴っていない場合は、上滑りするばかりの持ち上げ合いに繋がりかねませんし、いずれ商業主義に食われ、疲弊してしまうでしょう。

 食うか食われるか。
 それが真実だとしても、この世は映えだけで出来てはいない。
 
 「映え」があるなら、「反映え」という場所、被写体、景色が存在します。
 片方は正であり美で、対価を支払う価値があるが、もう片方は負であり醜、価値がないのでしょうか?
 考えるまでもありますまい。

 #反映え主義 が、勝者の論理に食われずに済む安全地帯になればと、考えています。

 さて、ご賛同頂けましたなら、いざ撮るといたしましょう。もちろん、「反映え写真」をです!

 しかし、中には、撮りたい場所へ赴けず、本当に撮りたいものを撮る事が困難だという方も、おられます。

 たとえ「映え」より「反映え」がお好きでも、色々な理由から思うように動かれず、反映えは撮れない。出掛けるとなれば、移動等がスムーズに行えるスポットへ行く事になる……となれば、行き先は街なかの映えスポットにならざるを得ない事も、格段に多いでしょう。

 撮れる範囲が限られようとも、自分の体と感覚で美を切り取りたい衝動は、同じ「撮りたい!」を抱える者として、心の底から応援します。
 何とか、あなたの撮りたいが叶いますようにと。

 そしてもう一つ。


 純粋な動機から、純粋に美しい写真を撮りたいのであれば、それがあなたのスタイルであるのなら、その道を極めるべきです、応援します。
 実際、私の中にも「美しい写真を撮りたい」という願望は存在し、否定しうるものではありません。

 単に、「映える為に/数を得る為にのみ、綺羅びやかな美写真だけを撮る」事には異を唱え、別の視点から美を探りたいのです(そんな考えに至った経緯はまたそのうち…)。

 「定評」ある写真家が撮る商業写真のごとくの、お定まりの写真を目指す……ソレは違う、目指すところがそれとは逆。

 そうお感じなら、是非【反映え】の立場で居てください。
 常にでなくとも構いません。【時々反映え主義者】という在り方も歓迎です!

 当然ですが、「パフェスペシャル食べたで〜〜!」 という写真や、路傍「以外の」普通に美しい花写真に、反映え主義タグは似つかわしくないですし、私も反映えとは思わない写真にはタグは付けません。ですから、時々だっていいのです。

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 冒頭にも記しましたが、反映え主義は、反・映えを謳いつつも、【映えの否定】ではありません。 これは日和見でも、映えへの擦り寄り、忖度でもありません。重複になりますが、別の視点から美を見つけに行こう、という立ち位置・視座の表明、決意です。

 反映え主義に一足踏み込んでしまった方々。次の項目、【反映えとは何だろう?】をどうぞお読み下さい。


「映えない僕達は美しくないですか?」
@gloriosa_pluie

(夜船注:隙間に生きる彼らの価値に賭けてもいい、そう思わせ、反映え主義推進の後押しともなった一枚です。)

 目の眩む絢爛さをともなう宣伝手段・【映え】写真について論じてまいりました。

 要点だけでもすでに大袈裟に響きますが、【映え】には必然的に、①目くらまし、②虚栄心・自己顕示欲を掻き立て、③弱者の存在を不可視化する、という役割があり、「人間をもちあげておとす、ハイにして疲れさせる要素」と、「特定のものの存在を、不快な物/見たくもない物と思わせ、実際に見えなくさせ、最終的には『見えないものは存在しない』事にさえしてしまう」という側面があります。

 【#反映え主義】ではこれの真逆を無骨に貫き通します。


 美しいものは、「多くの人が見過ごし、忘れ去り、意図的にであれ無意識にであれ、『ない』ものとしてやり過ごす景色」の中にも、“必ず”存在します

 この立ち位置から、被写体や風景を視るのが反映え主義です。

 最新型の流行り物、スタイル抜群なモデルたち、カラフルで夢のようなご馳走だけが美・魅力ではない事に、気づいている方も居られるはず。ガチ中華と町中華の違い、とすると分かりやすいかもしれませんね。


 反映え主義のキーワードを一言で言うならばそれは、映えの対極にある、日の当たらぬ地味なものに潜む美を見出す、それに尽きるでしょう。

 たとえば、隙間の猫、隙間の命にも、目を向けて下さい。

 猫好きでさえ見過ごす猫たち(@gloriosa_pluie様談)にも、同じ命として目を向けて下さい。生まれ持った毛皮一枚で、懸命に生きています。

「見てくれの美しさだけを追う人達に、僕たちは見えない。」
@gloriosa_pluie 様

生きて生きて生き抜きます。
彼らが見えますか。

 「見た目や色にインパクトがある=映え」ではないのと同じ理屈で、【反映え】=汚い/見窄らしいではありません。
 
 捨てられ、朽ちて、見捨てられ、見過ごされた存在もまた美しい。宿命的に美しい。

 その美を見よう、「可視化」しようとする行為自体が、【反映え主義】の核心です。

 対する「不可視化=映えの弊害」は、見えないものを無いことにし、容易に虐げる風潮を作り上げるという面があります。恐ろしい話です。


「あの人、何を撮っているんだろうクスクス」

 そんな反応をされた事があれば、あなたの中にはすでに反映え主義のものの見方が存在しているかもしれませんね。

 反映えの被写体には、侘び寂びを感じる佇まい、時の流れや無常を、度を外れた形(笑)で刻みつけられたものも多く、良さを分かってもらえず、スルーされることが多いものです。

 被写体が、無常感、切なさ等を感じさせる、名もなきものである事が多いのも、一因かもしれません。ネガティブな事柄は、無視・排除されるべきという風潮が強いため、皆、出来れば直視せずに済ませたいのです。
 
 一方、撮り手の心情・状況次第では、時に被写体と感情が結びつき、さらには自分と同一視して撮る事さえあるでしょう。壊れた傘を撮りながら、まるで自分のようだ…等々。〈注〉

 その場合、【反映】に触れたあなたの感情やイメージは、【映え】から受ける幸福感や恍惚の対極である事でしょう。

 ですが、いかなる感情であろうとも、被写体共々必ずや美しくかけがえのないものです。

(上記文中〈注〉:これは撮影者によるでしょう。全く当てはまらない方もいると思います。)

 前項目、【反映え主義の手引き】中で述べましたが、「私の写真は美しくない、映えない」「これを撮っている自分は変なんじゃないか」と、ドツボに嵌るタイプの方は、その頻度も減るかもしれません。
 「何処かの誰かは、これを美しいと思う」かもしれませんし、それ以上に、あなたが「あなたの目で見、切り取った反映えの美」の価値を信じていれば、痛みも少しずつ薄らぐやもしれません。

 その美に気づかない第三者から笑われる事など、痛くも痒くもなくなる日はやってきます。
 

「【限界反映え領域】と名付けた景色」
@o8giyan2

世界の隅、足元に、美と呼べるぎりぎりの領域を探す。

 さて、「反映え」な被写体の実例とはどんなものでしょう?

 あくまで私の場合ですが、例を挙げればこのようなものたちです。

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 暗がり、石ころ、ボロのフェンス、ただの隙間、ただの地面、枯れた花、汚れた道具、空き缶、水路、捨て猫、割れた窓、ひび割れ、電柱、街灯、鉄塔、ひしゃげたカラーコーン、妙な味わいを醸す壁の隅っこ、コンクリを貫いて顔を出す雑草、廃屋、枯れた鉢植え、気味悪い程ジャンボなアロエ、枯れ草、古びた道具、古タイヤ、朽ちたモルタル、錆びた自転車…etc.

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 列挙してみると、明らかに万人には通じない、ほとんどの人が顧みない、撮ろうとも思わない景色・存在だと分かります。実例は主催者夜船のTwitterアカウント(twitter.com/o8giyan2)に細々とポストしていますので、ご覧下さいませ。


@todotan00

鉄塔などの撮る人の多いジャンルも、「映えてない?」と言われることがありますが、大多数の人は普通目もくれない。

 

 はい、なりはしません 笑
 商業主義の真逆に位置するものばかりですから。撮ったってビタ一文にもなりはしません。
 
 あなたの反映え被写体はいかがですか?

 タイムラインでもスルーされ、顧みられないとお嘆きかもしれませんが、勇気を出して #反映え主義 ハッシュタグを貼り続けてみて下さい。

 「それでもこれは美しい!」

 と、自信を持って、被写体が本来備えていた美を突きつけ続けてくださいね。いいねが貰えなくても、欲しくても、フォロワーが減ってもです。

 あなたが反映(はんえい)されるでしょう 笑

 自己顕示欲から頑張って離れてみた地点でしか撮れないものもあります。「この反映え被写体の美しさを引き出す」ことに集中したいものです。
 これは当然、主催者自身への自戒でもあります。

 また、撮影者によって、被写体は、働く人々やご老人など様々です。いずれも、見出さなければ美とは感じにくい(失礼)、不可視化されてしまいうる存在です。

 「載せて良いですか?」
 「これは反映えてますでしょうか?」
 と許可を求める必要はございません。

 あなたが、これは反映えだ! とお思いならば、ご自身の感性や視界が捉えた景色が、映えとは違う意味での美を含むと信じたのなら、どんどんタグをお使い下さい。
 
 「みんなどう思う? これは反映え? どの辺が特に?」
 などと尋ね合い、正直に議論するのも良いものです 笑

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 ただし。
 誤解して頂きたくないことがあります。

 「美のない乱調は反映えとは違う」という事です。
 
たとえば、以下のような使い方は望ましくありません。

 汚濁を「ありのまま」撮り、衆目に曝す事は反映え主義ではなさらないで下さい。
 
 そういった「ありのまま」を好み、これが真実(ほんとう)でアートだ、何が悪い! と主張したい方も居られるとは思いますが、それはまた別ジャンルです。醜悪なものを晒すためのハッシュタグとは致しません。 

 それから……これも大切です。

 出来ればカメラ任せにせず、ご自分の目を信じた写真をお出し下さい。撮影したあなたが見た色に整え、その時響いた心の声を写真に託すことで、「捉えた被写体の美を引き出す」という一手間を、どうかお忘れなく…!


@t_k_1896ii 様
かつて私は自転車でした。
見出した美が語り出すかは、撮り手次第。


 さて、誠に小煩いかとは思いますが、さらなる注意事項は次の項目に明記しますので、こちらも必ずお読み下さい

 なぜ #反映え主義 ハッシュタグの取り扱いに注意が必要なのか、ルールが設けられているのかが分かる巻に……。
 なお、次項で【反映え主義の手引】メイン3項目は完成です 笑

▶▶▶※必読でーす
【反映え主義】注意事項
(大急ぎまとめ中!汗汗)



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