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「一口食べる?」が好きな理由


「シェアハピ」という言葉について共感したのでそのことについて書きたいと思います。


小学生の頃、給食のときに間接キスだってからかわれた記憶が私の名で根強く、高校生になっても間接キスということに抵抗がありました。

高校生になると月に少しのお小遣いをもらい始めて、友達と放課後にコンビニに寄ったり、ご飯を食べるという機会が増えたりしました。
その時に「一口食べる?」「シェアしよう」という言葉が多くなり、それに私はなんだか壁を感じて、断ることが多くなっていました。

それに「一口食べる?」という言葉に対して本当は食べたいけれど、遠慮するほうが偉いということ、相手もそのほうが嬉しいと思っていました。


特に私の周りの人たちはアイスのピノや、雪見大福、唐揚げ棒ですらシェアしようとしてくれるような人たちばかりでした。

自分の食べたいものは自分で買えばいいのに、なんだかよい人たちだな、。ぐらいにしか思っていませんでした。だから私も社交辞令として「一口食べる?」を言わなければいけないと思い、実際に言っていました。


シェアしたい気持ちが芽生えた話

しかしあるとき、私も「一口食べる??」と心の底から言いたいと思ったときが訪れました。

「おいしい!!この味はきっとあの人も好きな味だ!食べてほしい。きっとおいしい!と言って笑顔になってくれる、笑顔を見たい!」

細かく言えばそんな感情でした。
その時に今までの私が「一口食べる?」を断っていたことに対する後悔の気持ちがドワーっとあふれ出してきました。


「一口食べる?」は単なる社交辞令とかでも優しさとかでもなくて、
「愛」だと私は思います。相手に対してシェアすることで幸せにしたい!
そんな思いが乗っている素敵な言葉だと気づきました。


だからその思いを断ってしまいたくないと思ったし、その言葉を全力で愛だと思って喜んで受け取りたいと思いました。


シェアハピって本当にその通り

誰かがおいしいとほっぺたが落ちそうなほど笑顔になる瞬間、その美味しさをだれかと共有できる瞬間。そんな瞬間一つ一つが愛おしくて、今の私は昔とは違い、「シェアしよう!」「一口でも二口でもいっくらでも食べて!」って言うようになって、「一口食べる?」は喜んで食べちゃいます。

雪見大福の新作が美味しかったら全然半分食べてほいいぐらいだし、パピコも誰かにシェアする。シェアするための構造になっているのかと思っています。(笑)

「一口食べる?」と言われる人になりたいし、言いたいです。というお話でした!

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