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もし自分だけが不死身だったら死んでいる

くだらないことから深いことまで、最近の謎メモたち。


忙しいと体が反応する


1月は忙しかった。
毎朝人のいないオフィスで仕事を初めて、帰りはまちまち。
基本毎日4時間残業だった。

こういう月は以前にもあったけど、1月はなんだかドッと疲れた。
金曜日はもう生きるのに必死だった。
土日は友達に毎日会ってリフレッシュしてたけど、身体は疲れてたみたい。

もうなんだか最終週あたりから体調が悪かった。
たちくらみ、脱力感、便秘。
特に便秘すぎてポンポコリンだったから、一回病院行くか迷った。

でもあら不思議。
2月2日の峠を越えたらすこぶる体調が良くなった。
もう本当人間てよくできてるなあと思った。


やっぱり同期が好きすぎる


同じ部署の同期がおうちに来てくれた。
1人は人生ゲーム、マリアージュフレールの紅茶、スピーカー
1人はクリスピークリームドーナツ
1人はミニクロワッサン
という大きい荷物を持ってきてくれた。

もうこの時点で3人が楽しみにしてた気持ちと、全力で楽しもうという気持ちが感じられて、キュンとした。
スーパーでの買い物も、準備も、美味しいたこ焼きも、美味しいティータイムも。
笑い転げた音楽大会も、人生ゲームも。
本当に全部が全部愛おしい。
はつらつで優しくて熱い3人。私は幸せ者か。


もし自分だけが不死身だったら死んでいる


タイトル通りのことを、ふと思った。

私は、この世には全ての終わりがあると思っている。
自分はいつか死ぬし、人はいつか滅亡するし、地球はいつか無くなる。

そう、"いつか"。
無になることは予想ができない。
それは自分も、誰かも、何かも。

無為なことだらけだけど、いつか終わりがある。"いつか"だから愛があるのかもしれない。
予想通りの無じゃないからこそ、人は後悔する。
失うことを後悔して、失われることに寂しさを感じる。


「終わりがあるから始まるがある」
という言葉が示すことは、
「終わりがないということは始まりがない」
ということなのだろうか。

もし終わりがなかったら、人は愛をなくすのだろうか。
だから花が奇麗なのだろうか。

自分だけ不死身だったら、たしかにみんなのことを覚えている、繋いでいるという点では本望。
だけど、大切なものを失うことに耐え切れなくなりそう。
それに自分のことを愛してくれる人はででこなさそう。


美味しかったご飯を残しておきたい

社会人になってから、カメラロールが充実している。
ほぼランチか飲み会で撮った美味しいご飯の写真。
写真を撮っておくだけで、誰と食べたのかとか幸せな思い出がよみがえる。

メモ程度でいいから、写真と一緒に言葉も残しておきたいなとも思った。


めいっぱい今を楽しみたい

絶対に変えられないこの世の仕組み。自然の成り立ち。
24時間、365日(365日)ということ。
そういう、自分には到底変えられないことがたくさんあると感じる。

だからこそ、"今"その切り取った感情が一番大事なんだと最近思う。
だったら、楽しく生きていたい。
幸せに、楽しく。自分の知っている世界をもっと美しくしたい。


自分だけに使う時間を減らしたい


自分だけでいる時間は必要だけど、多すぎると自然と自分に意識が向く。
そうすると、私の場合マイナスに動きがち。

だから身近なことやもっと遠い世界のことに目を向けたい。

見えない誰かのために働くことに、私はやっぱりやりがいを感じられないな!と最近まで思っていたけど、今はそれが分かる。
"知らない誰かのために"が私の心を救う。

だけど、何を一番大事にしたいのかの優先順位は間違いたくない、欲張り。
私は一番大切な人が、一番幸せになれる選択をとりたい。(っていうただのエゴ)

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