防災地図から探る土地の歴史

みなさん、ハザードマップってご存知ですか?


▲(出典:わが町の水害ハザードマップ|杉並区 https://www.city.suginami.tokyo.jp/anzen/saigai/hazardmap/1013470.html)

そうです。浸水の可能性が色分けされて表示されている、あれです。
一般的に水害ハザードマップとは、水害時に想定される浸水の深さを色別に示したものです。

普通、河川の氾濫に伴う浸水では川の近くが被害を受けやすいので、浸水の危険性が高いことを示す青のエリアは、河川にそって広がっています。

ここで、中心の大きい川の少し上、右側の凡例の白い四角の下あたりを見てください。

なんか川っぽいのに、川じゃないやつがいませんか......?

なんだこいつ?

「川もどき」の正体

このハザードマップをよく見てみると、「川もどき」は他にも何本かあります。

近くに河川がないのにもかかわらず、氾濫時に水害の影響を受ける「川もどき」エリア。一体どうしてこんな現象が起こっているんでしょうか。

実はこの正体を探る鍵は、昭和初期以前の地図にあります。

例えばこの地図上で最も北側、上に位置している「川もどき」。これを1930年発行の地図で見てみると......

今はないはずの川らしきものが、ある......!?

最初に見つけた東側(地図の右側)の「川もどき」のエリアにも、1909年の地図では川が流れていることが読み取れます。

▲丸の部分は田んぼなので、線路北側の川もどきは農業用水です

つまり、この「川もどき」たちは川の痕跡なんです。
それでは、川はいつ、どこに消えてしまったのでしょうか。

消えた川は一体どこへ?

昭和初期までは大小様々な小川が、主流河川の支流として街の中を流れていました。

玉川上水に代表される江戸時代に開削された水路や、農業用水、主流河川の増水時に水を逃がすための水路など......
人が住むところに、川は網目のように張り巡らされていました。

しかし、高度経済成長期によって川の運命は大きく変わることになります。

戦後日本では、農林水産業に代わって製造業・サービス業が発展し、経済の中心となりました。
それに伴い、人々はより高い賃金を求め、地方から都市部へ移動しました。その結果として起きたのが、都市部の人口の急増です。

そこで問題となったのが、家庭や工場から出る「排水」です。

1950年代には、生活排水や工場排水が河川に直接流れ込み、水質の悪化、悪臭が問題となりました。

下水道の整備が急ピッチで進められる中、

・元々流れのある中小河川に下水管を通し、下水道として転用してしまおう!
・臭い川には蓋をしてしまおう!

この2つのポリシーのもと、かつての小川は「暗渠(あんきょ)」として地下を流れるようになり、地図上からは姿を消しました。

川たちは、今も地下でひっそりと息づいているのです。

防災地図は街の履歴書

今回は水害ハザードマップから川の歴史を紐解いてきましたが、水害に限らず防災地図には街の特徴がとてもよく現れています。

「なぜここは燃えやすいの?」「なぜこの地域は沈みやすいの?」
その疑問の先に、土地の歴史の扉を開くチャンスが待っています。

防災地図、じっくり読んでみたくなったでしょ?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?