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モノとコト/おくのほそ道

3年ほどまえ、芭蕉について読んで(*)、ああそういうことなんだ、とコネクティングドット事象があった。それは創造と表現ということに繋がることなんだが。

モノとコトについて先日書いが、改めて芭蕉の本をみると、そのままのことが書かれていて拍子抜けした。読んだことを忘れて、自分で気がついたと思っていたみたい。自分は線を引きながら本を読むタイプだが、その場所に線がまったく引かれていないので、かなりサブリミナルな話しなのかもしれない。

「思う『こと』を見聞きした『もの』に託して言葉にする」とあった(p25)。この言葉自体は、紀貫之が「古今和歌集」の序文で述べているそうだ。

自分が印象づけられた芭蕉の話しはこうだ。

ご存じ松尾芭蕉は、俳句という芸術世界をたった一人で完成させた人だが、その完成の契機となるのがこれも有名な古池の句であるという。

 古池や 蛙飛こむ 水のおと

それ以前の俳句とは、日常や事象を面白おかしく句にとらえるようなものであったらしい。むしろ川柳のイメージに近いかもしれない。風刺や滑稽、いじり、ブラックユーモア、などが基調になっている。

そこで読まれている対象とは、自分の周囲で起きているものや事柄であって、それをいかに巧みに読み止めるかを競っていた。

しかし、芭蕉はこの「対象」を自分の心の中の事象に転換したという。

この句は中七下五「蛙飛こむ水のおと」が先に浮かんだことがわかっている。しかし、おそらく芭蕉は蛙が水に飛び込む音など聞いていないのではないか、少なくともそういう事象を目前にしてそれを言葉に活写したわけではない。つまりは蛙が飛び込んで何か音がした、というのは芭蕉の「想像」でしかない。その想像に見あう上五として古池を持ってきたわけだが、その古池もやはり芭蕉の心の中のものであろう。

芭蕉は、風景や景色やそこにある物を「読んではいない」、読んでいるのはあくまで心の中の「何か」である。ここで起きたことこそ、読まれる対象の転換であったし、俳句って「これでいいのだ(バカボンパパ)」ということを芭蕉はこの句で「開眼」したのだろう。水の音も古池も、桜(はな)も月も富士も、心の中の「何か」を指すための素材でしかない。そしておそらくそういう「素材」体験自体は心の中の何かを引き出すトリガーとしても働くということなんだろう。

この句の三年後、芭蕉はおくのほそ道の旅に出る。心の中のものを掘り起こす素材の宝庫である歌枕を求めて。「おくのほそ道」全体は、たんなる事実を綴った旅の日記ではなく、芭蕉の心の在り様を表現した文学作品であった。

「漂白の思いに、何ごとも手につかず、松島の月なども気になってしかたない...」そんなどうしようもない思いに駆られて、住み家を人に譲り芭蕉は東北などをめぐる旅に出た。

敷衍して考えると、すべての芸術や表現行為は心のなかの何かを表そうとすること、ともいえるのではないだろうか。たしかに「富士山の荘厳さ」や「夜明けの美しさ」自体も、歌いたいものかもしれないけど、でもそれを「荘厳」や「美」と感じるのは、あくまで自分の心の声である、そうとも考えられるのではないか。

デザインも同じことだと自分は思う。

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ひょんなことから自分も、年明けにはじめて松島に行けそうであり、今から楽しみでしかたない。

(*)「松尾芭蕉 おくのほそ道」(長谷川櫂、100分de名著)

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