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杏さんという女性

僕は、記号で人を総称したくないので仮名で話をしたいと思う。

その人は、杏さんといった。

小学生の頃の友人が誰もいない、中学校の入学式で同じクラスであることを知った。

杏さんは、誰よりもか弱そうな身体の女性だった。
自身の身体を傾けなければ歩くのもままならなかった。

僕は、僕が今までに生きてきた中では出逢うことのなかった同級生に、いささか戸惑った。

一人一人が新しい環境に浮き足立つ教室で、杏さんだけはそこにスッと重力に逆らわずに居たように見えたのだ。

杏さんと同じ小学校から上がってきた子に話を聞くと、ずっと体はそうなのだと言っていた。
年々、身体の具合は悪くなる病気なのだとも。

身体を動かすこと以外に、口を大きく開けて話をすることにも少し不自由そうであった記憶があり、歌の時間はどのようにしていたのだろうと今さながらに気になる。

ちょうど同じ時期に高視聴率を記録していた『1リットルの涙』というドラマがあり、毎回涙ながらに見ていた記憶があるのだが、
残念ながら現実世界の当時の僕は、その杏さんに声をかけたことがなかった。

学業は優秀で、僕と違ってテストで赤点などは取ったことがないのではないかと思う。
中学の3年間同じクラスで過ごしていたが、これといって会話もなく、その地域の進学校である公立の高校に共に進んだ。
高校3年間は、学業優秀な杏さんと、学校の偏差値を下方修正している僕が一緒なクラスになることはなかったが、学校内でその姿を見かけることはあった。

高校生の最終学年になると、彼女は電動の車椅子に乗るようになっていた。
幸い、新築したばかりの校内にはエレベーターや通常より広めのトイレなどもあったが、思春期の盛りの男女が巣食う学校ではあまり居心地が良くなかったのではないだろうか。

もちろん、本人に尋ねたことがないのだから分かるはずもないのだが。

大学受験が集大成であるような進学校なので、秋を前に行われる学園祭は、最後の青春であった。

僕は、柄にもなく組長という、組のトップをしていた。
猿山のボスを想像してくれれば、それで足りる。

この2日間ある学園祭の華は、2日目の体育祭で行われる1組約300人の踊りである。
(ちなみに、1日目は文化祭と呼ばれる知的な催しがある。)

1組5分の持ち時間で、それぞれで考えた踊りを流行りの音楽に合わせて踊るのだ。
みな、若さと暑さで狂っている。

あろうことか、私は真ん中の一番前で、道化みたいに踊っており、その証拠映像も父親によって収められていた。
(もう、二度と目にすることはないだろう。とにかくそのような映像がこの惑星内にあることが恥ずかしい。)

5分の時間を目一杯に使い、自ららのパフォーマンスを終えた約300人は、必要以上に溢れてくる歓喜のエネルギーを爆発させていた。

恐らく、私は何人かの級友と抱擁をし、笑い、ハイタッチをし、握手をし、そして口々に褒め称えあったのであろう。

何故だか、最近そのときの杏さんのことをふと思い返すことがある。

私は、円の中心にいて、約300人の集団と共に喜び、またその会場の1000人近くの人たちの中で埋もれていた時間、杏さんはどうしていたのだろうか?

彼女は、本部と呼ばれるテントの影の中で、僕たちが踊る為の音楽のスイッチを押してくれていたのではなったのか?

ちょうど、最後の最後まで、音楽が止まるまで、カセットの前で指を停止ボタンにかけて待っていてくれていたのではなかったか?

本番前に手渡されたカセットで、何度も、音楽をかける練習をしてくれていたのではなかったか?

そうして、僕たちの歓喜の輪を座って見ていたのではないか?

本当は、僕らに手渡されたトロフィーを手に取ってみたかったのではなかったか?

僕は、彼女の大きな仕事を労わなかったことを、今更ながらに悔やんでいる。

杏さんは、どうしているのだろうか。

今度は、話ができるだろうか。


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