ひとつだけ

「たったひとつだけだけど、願いが叶うとしたら何を願う?」
 学校からの帰り道。
 幼馴染の美友紀がこう尋ねてきた。あたしはそっと腕を組んで、うーん、と唸る。
「たったひとつだけ?……何を願うかなぁ?」
「アタシはこれ、って決めてある」
 美友紀があたしに視線を向けて、ふふ、と笑って。「北城(ほうじょう)君と、両想いになること」
 そして、顔いっぱいに幸せな微笑を広げた。
 美友紀は隣のクラスの北城君に熱烈な恋をしている。北城君の話をするときの美友紀はどんなときの美友紀よりも可愛く見えて、あたしには羨ましかった。
 美友紀は、小さなころからちょっと他人の視線を集める容姿を持っていた。栗色で癖のある髪はふわふわでお姫様みたいだし、瞳もくりくりとよく動く。鼻はちょっと上向きだけど、形よくスッキリとした鼻筋。唇も丸くふっくらしていて、いつも微笑を浮かべているように見えた。確かに美友紀は美少女
だった。
 そんな可愛い美友紀が、恋焦がれてどうしようもない相手が北城君である。
 北城君はごく普通の男の子だった。街中でもどこででも出会えそうな、これと言って特に際立った長所もなく、かと言って目に付くほどの短所もない。美友紀がナンパされて困っているところを、カレシのふりをして助けてくれたのがきっかけで、美友紀は北城君と親しくなった。話をしているうちに、北城君の穏やかな優しさと、芯のしっかりしたところに惹かれたのだという。
「美友紀と北城君じゃあ、もうラブラブって感じじゃない」
 あたしが言うと、美友紀は表情を曇らせた。
「北城君、他に好きな人がいるのよ。アタシ、知ってるんだ」
「そうなの??」
 あたしがびっくりして大きな声をあげてしまったせいか、美友紀は恥ずかしそうに周りを見回した。
「うん。こないだ、ちょっとそういう話になってね、いないの?って冗談めかして聞いたら」
「聞いたら?」
「いるよ。だって。片想いだけど、って」
「へぇ」
「なんか、そのときの北城君、いつもの北城君よりカッコよかったんだよね……。なんかすごぉく悔しい」
「そっか――」
 北城君に好きな子がいるなんて、あたしにはなんだか意外に思えた。美友紀はさっきまでの悔しさをきれいに消して、明るい笑顔を浮かべながらあたしに言う。
「でも、アタシはアタシで北城君が好きなことには変わりないし、いいかな、って。こうやって、見えない一方通行の矢印が、アタシから北城君に向かってて、でも北城君の矢印は、アタシが知らない誰かに向かってるんだよねぇ」
 美友紀が指で宙に矢印を描く。はぁ、と大きく溜息をついて空を仰いだ。少し間を置いてから、美友紀は改めてわたしに聞いた。
「朔良(さくら)は何かないの?」
「あたし?」
 あたしは考えてみた。
 今のところあたしは、美友紀みたいに恋をしているわけじゃないし、これと言ってやりたいことがあるわけでもない。毎日楽しく過ごしているし、小さな不満はいっぱいあっても、解消したいと思うほど強い不満はない。
「別に、ないかな……?」
「それじゃつまらなくない?」
 つまらない?
 何が。
 あたしは美友紀をじっと見つめた。自分ではちゃんとそういい返したつもりだったけれど、きちんとした言葉になっていなかったことに、美友紀にこう言われて初めて気がついた。
「何? どうなのよ? はっきり言いなって」
「あ。――うん、つまらない、かも……」
 なんだか他人事のような言い方をしてしまって、あたしはあたしに向かって苦笑した。
 そうだよ。
 あたしはつまらない人生を生きてる。
 レンアイだけが楽しいことじゃないけど、美友紀みたいに一生懸命に恋焦がれて、溜息混じりの生活をした事だってない。特にこれって言う夢も希望も目標もない。ただだらだら生きてるだけなんだ。
「何か見つけなきゃ。あっという間にババアだよ?」
 美友紀に言われて、わたしはもうとっくにババアになってしまったように思った。
「そーだね」
 あたしの返事に美友紀が不満そうな顔をする。
「だぁかぁらぁ。朔良のそういうとこ、もうババアだって。恋をしな! 幸せな気持ちになれるって」
「うん。そのうち」
 あたしの返事に、美友紀は怒ったように言った。
「朔良。朔良に矢印向けてる人だっているかもしれないじゃん? もっとこう、いろんなとこに目を向けて、明るく楽しく生きていこうよ?」
 怒ったようで、でもその底にはちゃんとあたしに対する優しさが含まれていることを、あたしは知っている。美友紀のそういう優しさが、あたしは大好きだ。
 たったひとつの願い事さえも思い浮かばない、つまらない人生送ってるあたしにも、ひとつだけ自慢できることがある。
 美友紀っていう、あたしのことを解ってくれて、あたしのことをちゃーんと考えてくれる幼馴染の親友がいること。美友紀がいてくれるだけでも、あたしの人生そう悪くないって思ってる。――照れくさくて、こんなこと美友紀には言えないけどね。
 あたしが心の中でそんな風に思っていることを知ってか知らずか、美友紀はくりくりの瞳をしきりに巡らせながらこんなことを話し出した。
「朔良にはいいとこいっぱいあるって、アタシちゃんと知ってるもん。面倒見いいからやっかいごと背負い込んじゃったりするけど、でも優しくて頼りがいがあって、アタシ、朔良と幼馴染で親友でよかったって思う。朔良にはね……」
 美友紀があれこれとあたしのいいところを数え上げてくれる。あたしは美友紀のふっくらとした唇から言葉が溢れてゆくのを、じっと見ていた。
 あたりは次第に暮れてきて、西の空には大きな真っ赤な夕日と、薄紫に輝く雲がなびいている。
 そうだ。
 あたしはひらめいた。
 あたしのひとつだけの願いを、たった今、ひらめいた。
 美友紀が喋り終わったら、あたしは美友紀にこう言おう。
 美友紀と、いつまでも、ずっと、親友でいたい。
 それが今のあたしの、ひとつだけの願いだって。

#短編小説

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