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《時代とシンクロした水島マンガ》 “長嶋茂雄引退”と『男どアホウ甲子園』の結実

 水島野球マンガが確立される以前、野球マンガといえば『巨人の星』に代表される「読売巨人軍マンガ」ばかりの状況にあった。だからこそ、水島新司にとって、打倒・読売巨人軍マンガが創作意欲のひとつの源泉でもあったのは間違いないだろう。

『巨人の星』ですか? あれはプロ野球ですし、僕の原点は高校野球。まあ、漫画ですから別にどうってことないんでしょうけれど、僕から見て野球は『巨人の星』のようにあんなに苦しいものじゃないんですよね。もっと楽しくなければ(『月刊経営塾』95年10月号)

「巨人の星」を見ると、ウソの世界なんですよ。野球にくわしい人が見るとついていけないですね。その反発もありました(磯山勉著『水島新司マンガの魅力』)

 そんな“反・巨人の星”の象徴的な作品であり、水島野球マンガ初のヒット作といえば、70年に連載が始まった『男どアホウ甲子園』だ。

 何しろ主人公は、阪神タイガースの本拠地にして、高校野球の聖地・甲子園球場から名を授かった藤村甲子園。高校野球、大学野球、プロ野球とステージを変えながらも、「巨人的なるもの」を打ち破るべく、ただひたすら前向き、剛球一直線で勝負を挑んでいく。
 そこで鍵となるのが長嶋茂雄との因縁だ。連載開始直後の回想シーンで、4歳の甲子園は巨人に入団したばかりの長嶋茂雄と遭遇。「おれ甲子園いうねん おにいちゃんキリキリまいさしたんねん」と宣言していた。そして、連載開始から4年後の74年、藤村甲子園は念願の阪神タイガース入り。74年といえば、長嶋茂雄の現役最終年だ。偶然にも、そして幸運にも、甲子園と水島新司は長嶋茂雄の現役生活に間に合うことができた。それは、「打倒・読売巨人軍マンガ」という意味で大きな違いがあったはずだ。
 実際、『男どアホウ甲子園』最終回は、引退直前の長嶋との対決シーンだ。見開きでフルスイングする長嶋茂雄と、そのバットを粉砕する甲子園の剛球一直線ぶり。「長島やぶれたり!! ジャイアンツ敗れたり!!」のセリフは、水島が「打倒・読売巨人軍マンガ」を実現した瞬間であり、“野球なら水島新司”の地位を固め始めた第一球となったのだ。

 なお、『男どアホウ甲子園』の連載終了からわずか1ヶ月、同じ『週刊少年サンデー』で連載が始まったのが『一球さん』だ。前作で「打倒・巨人」を果たした水島が次に描こうとしたもの、それは「巨人的なるものの再構築」だった。
 『一球さん』の舞台は“巨人”を冠した巨人学園。野球強豪校のエリートたちが、野球素人で忍者の末裔・真田一球の破天荒な野球に翻弄され続ける姿が描かれている。
 連載が始まった75年といえば、引退した長嶋がそのまま巨人軍監督に就任し、球団初の最下位という屈辱のシーズンを過ごした年。V9という一党独裁時代が終焉し、野球界がより多様性を容認し始めた年、ともいえる。そんなときに、「忍者野球」なる荒唐無稽で、夢のある野球を描いてみせた水島新司の“時代を見る目”を感じることができる。
 『男どアホウ甲子園』の続編的な要素も強く、一球の親代わりの存在として、藤村甲子園のライバルだった丹波左文字が登場。同じく甲子園の恋女房だった“豆タン”こと岩風五郎は巨人学園の監督に。甲子園初戦では彼らの母校・難波高校と対戦し、藤村甲子園自身や甲子園の弟である球二・球三も登場する。2作あわせて読むことで、水島新司の「巨人的なるもの」への意識が透けて見えるのではないだろうか。

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70年代のプロ野球、高校野球の出来事で、先に水島野球マンガが描いていた予言的なエピソードを紹介します。

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