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水島新司と日本野球〜水島野球マンガの予言的世界(70's)〜

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70年代のプロ野球、高校野球の出来事で、先に水島野球マンガが描いていた予言的なエピソードを紹介します。
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#ドカベン

【水島予言#01】1974年の高校野球と、1973年の水島新司

 1974年。それは野球界にとって一つの分水嶺ともいえる年だ。プロ野球では読売ジャイアンツのV9時代が終焉し、「ミスター・プロ野球」長嶋茂雄が引退。その一方で、王貞治は史上初の三冠王を達成。プロ野球の打の主役が明確に入れかわる年となった。 そして高校野球ではこの年、金属バットの使用が解禁。今につながる「打高投低」時代のはじまり、といえる。もっとも、初年度は多くの学校で金属バット化に対応できず、木製で出場した選手がほとんど。この年夏の甲子園を制した銚子商業の4番、篠塚和典(当時

【水島予言#03】1979年8月の甲子園と、1979年8月の水島新司

 「高校野球史上最高の試合」はどれか?   そんな問いがあったとしても、出身地や年代、試合映像を見たかどうかによっても評価は大きく変わるだろう。それでも、1979年8月16日に甲子園球場で行われた夏の甲子園、和歌山代表・箕島高校vs石川代表・星稜高校の一戦は、あまりに劇的すぎる試合展開だったこともあって、多くの人から「伝説の試合」「神様が選んだゲーム」として賞賛を集めることが多い。  引き分け再試合になりがちな「延長18回の死闘」がその最終イニングで決着がついたこと。その18

《時代とシンクロした水島マンガ》 現実になった「ドカベン」と「球道くん」

 水島高校野球マンガの「打」の主役、といえば『ドカベン』の主人公、明訓高校の山田太郎。その豪打ぶりで多くの野球少年の憧れの的になり、現在40代、50代のプロ野球OBに話を聞けば、「ドカベンに憧れて甲子園を目指した」「山田のバッティングに憧れた」といった声は決して珍しいものではない(『大甲子園』文庫版巻末には、そんなプロ野球選手たちの声がそれぞれ収めらている)。  そんな『ドカベン』によって野球人生が大きく変わった人物、といえば、「ドカベン」のニックネームで公私ともに呼ばれるこ

《時代とシンクロした水島マンガ》 月産450枚!? 水島新司の「最盛期」はいつか?

 1977年9月3日、この日は日本の野球が「世界一」をつかんだ記念日だ。読売ジャイアンツ対ヤクルトスワローズ23回戦、午後7時10分6秒、この日の2打席目に立った王貞治は鈴木康二朗のど真ん中のシンカーをライトスタンドへ。メジャーリーグ記録を抜く756号を達成した瞬間だ。後日、この偉業が称えられ、当時の福田赳夫首相から初の国民栄誉賞も授与されている。野球が娯楽の王様だった時代、その「プロ野球絶対王朝」の最盛期として77年シーズンをあげる人は少なくない。  なぜこの話を持ち出し