
答えは一つじゃない
ふとなにか問題に当たると不安になり
正解を探したくなりませんか?
どうやったらうまくいくのか?
そういうのってありませんか?
これってどうしてこうなるのでしょうね?
きっと
学校での勉強が正解を探したり
正解に合わせるという訓練をするからだと思うんですよね。
これがすごく重要で
学生時代は正解を探す練習をしてきて
社会に出るとやりたいことや好きな事を探すという事をしていく。
社会に出た瞬間から急に自己判断に切り替わる。
やったことないのに急に自分でなにかを決めそれを解決するという枠組みに入っていく。
例えば
良くあるのは自由になりたいと言いながら自由になる方法を探す。
誰かがやった正解を見ながらまたそれをしていく。
というより
その情報を聞いてそれをそっくりそのままやっていくという事です。
これが結構問題なんですが
要は自由というものを掲げているがやってることは誰かに依存していることになりませんか?
これはだいぶ抽象的な言い方ですが
もっと言えば
ゲームの攻略本が世の中にすごく売れてるという視点を考えたら分かりやすいですかね?
ゲームは楽しむもののはずなのに攻略本を先に読むという事自体なにかが違う。
そう感じませんか?
もちろん自分も経験ありますがぶっちゃけラクなんですよね。
ゲームをやってる感覚はあるけどゲームをするのに頭使いたくないって感覚。
そんな時攻略本って便利じゃないですか?
それで人生はロープレのゲームと一緒なんて言葉を聞いてしまうと人生の攻略法があるような錯覚になってしまう。
そんなのないんですけどね。
ゲームはソフトなので中身は変わらない。
でも人生とか時代って変わるじゃないですか?
ってことは攻略の仕方は常に変わるってことですよね?
ここが重要なんですよね。
時代が変われば攻略法が変わるから常に誰かに新しい答えを求めてしまう。
この繰り返しが思考するのをいやがる本質なのでしょう。
もっといえば
なんとなく生活してればテレビから周りから正解をもらえるということです。
これはいいことでもありますよね。ラクをするにはw
そうではなくて
考えてみるっていうのも自分の成長につながるのでたまには問題を探すのもいいと思います。
答えを探すより問題を探す方が難しいんですよね。。。
欠点ではなく問題です。
これは人にするとわかると思うんですが
欠点を取り上げて問題にするにはなにも生まれません。
それよりもその欠点をどうやったらいい方向に向けれるか?
を、問題にして考えてみるのはどうでしょうか?
重要なのは問題を解決して未来が明るくなることが重要なんです。
粗探ししても未来は明るくなりません。
またそれは欠点を直すという答えがある一定数の人が賛成するだけ。
ではなく
自分しか考えれないことを沢山考えてみると人との関わり方も変わってくると思います。
今日も最後まで読んだ頂いてありがとうございます😊