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「キリンに雷」て

「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」(品田 遊/著、朝日新聞出版)を読了した。私はこの本のもとになった「居酒屋のウーロン茶マガジン」(通称ウロマガ)を購読しているので見覚えのある話もあったが、多くの話を忘れていたので新鮮に読むことができた。

もともとのウロマガには、実のある話から本当にうわ言のような雑念まで徒然に書いてあるのだが、書籍化にあたってわりと「実のある」方の話を選りすぐったうえに、加筆修正まで行われているので、「少し考える日々」というタイトルを超えて、私はかなりいろいろと考えながら読むことになった。特に品田先生の得意分野(?)なのか、インターネット、モラル、死生観の話が多く、読むごとに「ふーむ……」とうならされた。
本書には「作家・品田遊の脳内を覗く超贅沢な一冊」というコピーがついているが、日々のウロマガの内容と本書の「濃さ」を比べると確かに贅沢なのかもしれない。
あとは、縦書きの明朝体というのはこうも「格式」をもたらすものだなあと思った。文芸を読んでいるという感覚があった。

また、本書の合間合間には漫画家・山素先生の「イデアのゆりかご」という1ページ漫画が挟み込まれているが、これはよくわからなかった。てっきりウロマガの一部を漫画化したものなのかと思っていたがそうではなく、品田先生でもないオリジナルキャラクターが浮世離れしたやりとりを繰り広げるという内容で、正直言っておもしろいともつまらないとも感情が湧かなかった。確かにウロマガの脱力感と似ていなくもないが、これを発案したのは誰だろうか。「エッセイ本の合間にニュアンスの似たキャラクターの漫画を入れるとお得感が増すと思うんですよね」とか、そのようなアイデアのもと挿入されたのだろうか。別にそれでかまわないが、なんだかパック寿司のバランだと思った。

ところで。この本で気になるところがある。タイトルだ。
繰り返しになるが、本書は「居酒屋のウーロン茶マガジン」(ウロマガ)がもとになっており、じつは仮題は「欠点を開きなおる人はえらい ちょっと考える日々」だったようだ。

それがどうして「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」になったのか。いろいろと想像の余地がある。出版社によって違うとは思うが、本のタイトルは会議と著者の承諾を経て決定されることが多いと思う。いったいどのような過程を経て「キリン(略)」になったのだろうか。

私が「キリン(略)」の担当者だったとして、まずは「ウロマガ」で行こうと考えると思う。安直だが、この本の対象読者は品田先生のファンが多いだろうし、それであれば「ウロマガ」の認知度もそれなりにあるだろうから、それなりの売り上げは見込めるのではないだろうか。しかし、ウロマガで会議を通そうとして、上司にツッコまれるのではないだろうか。

「『ウロマガ』だと、知ってる人しか買わないんじゃない?」

それはその通りだ。対象は明確になっているが、そのために他の読者予備軍を切り捨てている。売り上げを狙うなら「それなり」ではだめで、最大多数を追わなければならない。それに「ウロマガ」では、書籍の内容が知らない人に伝わらない。こうして、より良いタイトルを探してあらためて原稿を読み直すわけだ。

ウーンとうなりながら、これは!という一文を見つける。この記事はかなりいいんじゃないか。

かなりのビューを稼いでいるし、品田先生の独特な思考回路がよく出ている。なにより「欠点を開き直る人はえらい」なんて目に飛び込んできたら「ええっ、どういうこと?」と人目を惹くだろう。あとは日記の書籍化であることが伝わるように、少し足して「ちょっと考える日々」でどうだ。これで、企画会議は無事に通過した。やったぞ。

そして校正もだいぶ進み、おそらく発行日の少し前に値段やら装丁やらを決める会議がまたあるのはないかと思う。ここでタイトルについて言及が入るわけだ。偉い人からか、もしかしたら品田先生じきじきかもしれない。

「『欠点を開き直る人はえらい』って看板に掲げちゃうとさあ、悪目立ちしない?下手すると燃えるかも」

ウワーッ。そう言われたら仕方ない。原稿はいやというほど読み込んでいるので、頭をフル回転させて代案を出す。
「あの、キリンに雷が落ちたことについての日記があるんですけど」
「は?キリンに雷?」
「なんか、よくないですか。キリンに雷が落ちたことについて考えるような、脱力感と真面目さのバランス」
「よくないですかって言われてもねえ──

──キリンに雷が落ちてどうする」

「「それだ」」

ちなみに、キリンに雷が落ちたことについての日記は4行しかない。私はキリンがかなり好きだ。

まんがを読んでくださいね。