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31.0020 これ聞くと涙腺崩壊の危機😅 ~浜崎あゆみ<SEASONS>~

HさんとA会長のおかげで、新しい道をひらくことができ、
娘と二人で生きていくことが決まった。
きちんとお別れができて、私はルンルンだったわけでも、スッキリしたわけでも、落ちこんでいたわけでもなかった。

ただ、毎日が必死だったことは確実。

実家に比べたら狭いアパート。
下に音が響かないように暮らすということはそれまで経験していない私。
子供がバタバタと歩くと、「いいかな、いいかな」と心配した。
2歳くらいの子供が歩く音なんて、私がドカドカ歩く音よりいいのにね(笑)

知人に知らせず家を出たので半分消息不明になった私たちだった。
もちろん知り合いは周りに誰もいなかったし、
友人を作りたい、という気持ちにも全然ならなかった。
ママ友と言える人もいなかった。
娘はおとなしく、一人遊びも上手にできた。
ただ、社交的な一面も見られて、私の小さい頃と違い人見知りをあまりしなかった。HさんもA会長も一見強面(笑)だったのに、まだ小さかったからか?全く動じず、どんな人にも懐いていたので周りの大人から可愛がられていた。 私は、人に自分から話しかけたり、積極的にどこかに出かけたり、ということが苦手で、娘と二人で過ごすことを好んでいた。どこに連れて行ったらいいかすらも分からなかったから。

が、やはりここは娘のために!!頑張って、公園デビューなるものをしよう!とおもちゃを持って、公園に出かけたこともある。

そこでも、私の人見知りが災いして、うまくいかなかった。
もうすでにグループが出来上がっていて、そこに入り込めない。
最初の挨拶ができても、会話がつづかない。
子供同士が遊べるようになっても、ママ同士で話ができず、自然と輪から外れてしまう。
「母子家庭なんです」と言うと、興味深々という感じで、「なんで?」「どうやって暮らしてるの?」「大変ね~」「だんなはどんな人だったの?」と次々とぶしつけに聞いてきた人たちもいた。
見えない壁が、私と、パパのいる普通のママとの間にあるような気がしていた。
そんなわけで、アパート暮らしの時は、ほとんど公園にはいかなかった。
今思うと、その時私は少し人間不信になっていたのかもしれない。
他人と接触するのが怖かったんだろうなあ。

母の友人(年上の人たちですね)が声をかけてくださると出かけたり、母がHさんと一緒に出掛ける時にくっついていったりした。

アパートには古いテレビがあって、娘とテレビを見たりビデオを見たりして過ごした。

狭いアパート。だけど負け惜しみじゃなくって
本当に、私は娘と一緒にいられるのがうれしかったし、幸せだった。
ちっちゃなお風呂で二人で笑いながら入ったり、かんしゃく起こす娘を怒ってしまったり、泣いた娘をあやしたり、一緒にお昼寝したり。
ごく普通の生活で、誰にも遠慮することなく、喜んだり心配したりできることがうれしかった。必死だったけど。
娘の成長が自分のことのようにうれしかった。
何にも贅沢できなくて、新しいことも知らなくて、
娘のために将来何ができるだろうなんて、考えることもできなくて
それでも毎日、一日一日を、私なりに必死に生きていた。

日々大きくなる娘のものは何とか買うけれど、私の服は買わなかった。
母が不憫に思って、買ってきてくれたのを着るくらいだった。
全く身なりにかまわなくなった。かまえなくなった。
貯金は、一言でいえば「ヤバい!!」ところまできていた。

たぶん、アパートでひと冬は越したような気がする。
なぜなら、その年のNHK紅白だったか年末の音楽番組だったか、で流れた浜崎あゆみの歌を聞いた時のことが忘れられないから。

その時、娘はもう寝ていた。
私は、タオルをたたんでいた。
浜崎あゆみの「SEASONS」が流れていた。
おしゃれで、キラキラしていて若くて綺麗な人。
当時、きらめきの絶頂にいた人だった。
「すごくきれいだなあ」と思って見ていた。
その時流れた歌詞を聞いて、私は、涙が止まらなくなった。

  <今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても
   そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう>

本当だろうか。本当に、そんな日もあったね、って
娘と笑える日が来るんだろうか。。
と、急に悲しくなったのだ。
私は無職で、なんの特技もなく、取り柄もなく、
2歳になる娘と二人、アパートに隠れて暮らしている。
こんな私でも、本当に「そんな日もあったね~」って笑える日がくるんだろうか、、、って。
たたんでいたタオルに顔を押し付けて、大泣きしたのを
今でも思い出すと切なくなる。
そして、今は存分に自分をほめてあげたくなる。
  「よくやったよ!!」ってね。

✨SEASONSの歌詞は本当だった。
🌟浜崎あゆみさんすごいわ~。



■■今回もお読みいただき、ありがとうございます。
  全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
  お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
 『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
 どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!

▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
 ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身なんだということ、そして、誰のせいでもなく自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。



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