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昔の名前で出ています

渡部暁斗選手が19勝目を達成

 ノルディック複合の日本のエースである渡部暁斗選手がW杯フィンランド・ラハティ大会で優勝した。これで通算19勝を達成し、日本人最多優勝記録に並んだ。並んだ記録は私の持つ記録。かれこれ25シーズンも前に私がつくった記録だが、とにかく古い記録が破られずにきた。そして、もう直ぐ破られる時がくる。
 渡部暁斗選手がW杯を初優勝したのが2012年2月だから、19勝に到るまでに10シーズンかかったことになる。参考までに、私の場合は4シーズンで19勝。今季、ノルディック複合のW杯はコロナで中止の大会もあったが世界各地で22試合が予定。私が記録をつくった頃から比べれば、倍以上の試合数が行われている。

ノルディック複合とは

 ノルディック複合はスキージャンプとクロスカントリースキーの2種目を組み合わせた競技だ。
 通常、ジャンプが先に行われ、その後クロスカントリー。ジャンプの成績が一番良かった(得点の多い)選手から、それぞれの選手の得点差がタイム換算される。ジャンプで一位につけた選手がクロスカントリーで最初にスタートし、タイム換算の差をもって後続の選手がスタートしていく。
 前の選手を抜けば順位が上がるという仕組みだから見ていてわかりやすいし面白いと思う。

私が19勝できたワケ

 当時、私が19勝を挙げられたのはスキージャンプで大きなリードを奪うことができたから。北欧や欧州のクロスカントリーの強い選手の追い上げも、私とのジャンプの差を埋めることができなかった。  

とにかく、ジャンプが絶好調だったことが短期間で記録をつくることができた要因だ。加えて、その勢いでW杯総合3連覇も達成できたし、世界選手権大会も優勝した。

日本人対策

 ある時、W杯転戦中に「荻原をはじめ、日本チームが強すぎるのでルール改正すべきだという声がある。」と聞いた。

「まさか。」と思った。

 私が初めてW杯に出場した時、順位は後ろから数えた方が早かった。でも、「いつかは上位に入れる選手になるんだ!」との気持ちで練習を重ね、その結果、優勝できるところへたどり着けた。

「まさか、そりゃねーだろ。」という心境だった。

下位にとどまっていた頃は苦しかった。それでも、もがいてもがいて這いあがろうとする気持ちだけは失わないように努めた。
 そこで、新たな決意が生まれたのは、V字ジャンプへの挑戦だった。まだ、日本人では誰もやっていないことだった。V字ジャンプの挑戦はうまくいき、それが大きなアドバンテージとなり優勝を重ねることができた。
 ちなみに、私の最初のオリンピックは92年アルベールビル。この大会でV字ジャンプで飛んだのは、私と2人の海外勢だけ、たった3人。
 「誰よりも早くやってみる。」その気持ちが功を奏したかたちだ。

ルール改正 その後

 その後、ルールは改正され、勝てなくなった。もちろん、勝てなくなった理由は自分のスキー技術を見失ってしまったということもある。
 がしかし、ルール改正はとても痛手だったし、今も思い出すだけでも辛い。いまさらこんなことを言っても恥ずかし話ではあるが、本音は「もっと勝てたのに。」だ。いまだに「ルールを変えたアスリート、荻原健司」などと言われることもあるが、そんな英雄的扱いより断トツの記録のほうが欲しかった。
 そんな悔しい思いをした者として、渡部暁斗選手にはどんどん記録を重ねて欲しい。私の記録など、さっさと塗り替えて欲しい。歴史に残る圧倒的な記録をつくるチャンスはまだまだあるし、彼なら絶対にできる。もしこの先優勝できなかったらどうなるのか。それは「荻原健司さんと並んで・・・」が一生つきまとうことを意味する。「そんなのは、ごめんだ!」って私なら思う。
 オンリーワンになることがアスリートの目指すところなのだから、なんとしても20勝、それ以上を勝ち取って欲しい。

昔の名前で出ています

「キングオブスキーの荻原健司さんです!」という紹介を受ける時が多い。「またか・・・。」と思うのが本音。紹介する側としての敬意の表れなのだろうが、今の私にはちょっと恥ずかしい。
 そんな、「昔の名前で出ています的な紹介はもう勘弁してよ〜。」って思うから。
 だから、渡部暁斗選手が新記録を達成する日は、私がキングオブスキーでなくなる記念日となり、肩の荷を下ろすことができる日となる。その日がまもなくやってくる。
 「キングオブスキーの・・・」を卒業できる日がやっとくるのだ。もう、昔の名前で出なくていいことになるから、なにか新しい名前をつけなくてはいけないと考えている。


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