『不幸バイアス』の話

たびたびツイッターなんかで書いていることですが、またこれを思い出すきっかけがあったので少し。

ある漫画家さんが、編集さんと揉めてちょっとバッドニュースな形で話題になった、という出来事があったようで、こういった話を聞くと(おお、またか)と思ったりします。

編集さんと揉めた、編集さんがこんな酷いことを言った、編集さんがこんなクズだった、こういった『編集さんがクソだった話』はそこかしこで聞こえる話ではありますが、世の中はそんな酷い編集さんばかりなのだろうか、というのは常々疑問な部分だったりします。

『不幸バイアス(※バイアス=偏り)』の話がここで出てくるのですが、まず前提として"いま幸せな人はわざわざ「幸せだ」などとあまり言わない"ということです。しかし不幸な人は「不幸だ!(助けて!)」と周りにその状況を伝えて安らかな環境を手に入れようとします。世の中(というかSNS)に不幸な話がやたらと並んでいるように感じるのはおそらくこれが主な理屈なのだろうなと、思ったりしています。

幸せな夫婦なんていくらでもいるし、仕事にやりがいを感じている人もいくらでもいますし、世間的にはジェンダーロール(性別に求められる社会的立場)の押しつけだと騒がれるような立場にむしろ居心地の良さを感じる人も沢山いるわけですが、なにせ自分を不幸だと感じている人だけが一方的に声を上げるので、世の中はそういう人ばかりなのではと思ってしまう人もいそうだなと、SNSを見ていて思います(学生さんなどは特に)。

『不幸バイアス』により、幸せな人は不幸な人ほど視界に入ってこない。このことを忘れないようにしつつ、全体の割合を測りたいなとか改めて思います。

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