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スポーツは娯楽である #24

スポーツは娯楽である。スポーツの価値観がどんなに変わっても、この定義はこれからも変わらない。現在サッカーのワールドカップが開催されているが、元々サッカーは労働者階級の娯楽であった。チームやクラブが創設され、大きな大会には国を代表する人たちもスタジアムに訪れ熱心に観戦する今でも、サッカーはずっと庶民の娯楽のままである。決して、特定の人たちだけの楽しみにはなっていない。

100年以上の歴史があるサッカーだが、その間に大きく価値観は変化した。サッカー選手たちの年俸はもとより、地位も大きく向上した。ワールドカップを優勝に導くチームの主役の言葉は国家元首以上に民衆に響く。フランス代表に移民の選手が多くなってきた事を皮肉って、「国歌もまともに歌えない」と口走った政治家は、移民の英雄ジダンの言葉によって大統領選で敗れた。言葉の力で国のトップを狙ったとしても、自らの肉体と技術で世界を制した人の言葉の力に遠く及ばないのである。

選手個人は常にベストのプレー、ベストの結果を目指している。しかし、それは決して強制されるべきものではない。メディアが取り上げる情報に選手たちの価値が動かされてはいけない。目の前で表現されるプレーがその本質を理解していない言葉にかき消されてはいけない。選手たちの躍動は言葉以上の力を兼ね備えているのは、ジダンを例に上げるまでもないのである。

強制される娯楽はもはや娯楽でもなんでもない、ただの労働である。

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