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それは鶴岡八幡宮の大銀杏のような再会 『35年ぶりだねえ』


薬局内は、夕方5時を過ぎていたこともあり、それほど混ではいなかった。

子供連れのおかあさんの顔をちょっと確認しつつ、カウンターへと進む。「あの、先ほど、◎◎病院よりFAXしたオギノと申しますが。新規なんです。」薬はすでに用意されていた。男性スタッフがオギノの声を聞いてこちらを向いている。

私は30代の土屋かおりと沢口靖子を足して2で割ったようなようするに顔立ちは端正であるが女の色気をも持ち合わせた女性スタッフと、奥の男性スタッフの2人とやりとりをしていた。

「いま、父は◎◎病院の呼吸器内科に受診していますが、ターミナルケアで新しい主治医が必要なんですよ。はじめに△△病院に受診したときの担当だったK先生がこの近くに開業される話を聞いたのです。ですが、先生は退任される話しかされなかった。開業の話は◎◎の先生から聞いたのです。やはり病院で営業をするのは医師のモラルに反するんですかね。こちらとしては願ったりなのですが、なにか情報を知りませんか?」

がっちりした理学療法士のような男性薬剤師は笑顔で応えた。4月下旬にSマンションの1FでK先生は開業されて、昨日、先生とお会いしたというのだ。18日に内覧会があるとのこと。これで、主治医、薬局のかかりつけができる。

K先生の開業という貴重な情報を耳にし、ほっとしながらも、私はどこか落ち着かない態度でそわそわしていた。そう、まだUコの顔を目視確認していないのだ。私はカウンターのむこうにいる4人の顔を確認したいが、沢口靖子と理学療法士とのやりとりをしているなかで「Uコさん、ここにいませんか?」なんて訊ける空気ではない。まあ、いいか、と思っていたところにUコは登場した。タッグを組む沢口とタッチをするようにするりと正面に出てきたのである。

(うわーっ、オギノくん!)

このような登場をするはずがないのである。うやうやしく、ゆっくりとした態度で登場したUコは、まるで映画『パリテキサス』でナスターシャ・キンスキーがトラビスの前に現れたときのように、職業的な顔をしていた。

俺だとわかっているのに『オギノくん…、ですか?』的なふるまいだ。

ここからの詳細を正確に再現したいのであるが、緊張のせいか、記憶が定かでない。『中学卒業以来だっけ?』という言葉があった。「35年ぶりだよ」と私はいった。日蓮聖人の生まれ変わりを自称する宗教家が鶴岡八幡宮の大銀杏を前に(700年ぶりだねえ)とつぶやいたエピソードを思い出した。そのくらいの感慨がある。

沢口靖子はチラチラこちらをみては心なしかニヤニヤしているようにみえた。

私のセンチメンタルな心情を遮るかのようにUコは『まずは薬の話を』と薬の説明を始めた。

薬剤師が毎度薬の説明をするのは、患者のためというよりも最終的な確認作業なのだ。数を確認しながら袋にいれる。その後、カウンター越しにお話があるわけだ。ここで、私は父の主治医チェンジとかステージ4の末期がんであることを話した。Uコのおとうさんも私の父と同様であったらしい。

Uコの親友であるMコのFacebookに私が登場していたので、私の容貌はみていたそうだ。Mコはその集いでUコを誘っていた。

700年ぶりの大銀杏は私ほどの感慨はない様子だった。相対しながら、彼女はおとなしくも男子生徒にいいたいことはいっているタイプであったことを思いだした。はにかむ女の子のイメージだけが記憶の中で拡大されて修正されていたようなのだ。ハイソックスにきっちりと白元のソックタッチを塗っていたしっかり者としての彼女の記憶が35年ぶりによみがえってきたのである。薬剤師は適職だなと思った。

死期の近い父にとってお薬手帳は必要なのかという問題について、私はこれからはもういらぬと判断していたのだが、親父のなんでも自己管理しないと気が済まない性格は、これからの闘病に暗雲をもたらしていくことになる。

通帳の管理について。これを私の手中にしなければならぬ。うつ状態で金銭管理を父にまかせていた私は家計の全体をまったくわかっていない。私は家計の通帳を手に入れるという大命題にむかっていった(以下次号)

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