かれんな同級生に35年ぶりに再会を果たしにいく

親父が末期のがんであることがわかってもうじき1ヶ月になる。

なにかおかしいと思いつつ、よくわからずに本人も私もスルーしてきたはっきりしない自覚症状。病気に対して鈍感な性格は父の人生にとってよかったのであろうか。

うつ症状でぼんやりした私と、栄養不足、おそらく軽度の脱水でせん妄ぎみな父はそろって処方箋をもらうことを忘れ、会計だけ済ませて帰宅してしまった。薬といっても降圧剤と眠剤であるが。翌日、再度、病院へ行き、そこから薬局へFAXをした。FAXした先は『まごころ薬局』というど真ん中ネーミングの新規の店だ。つい先日まで銀座のクリニックで薬をもらっていたのだが、医者が千葉へ変わった。薬局も新しいところに行かなければならない。

そこで、私はわりと新しい近所の薬局『まごころ薬局』に行くことにしたのだ。

薬局が乱立してきた近隣にあり『まごころ』にしたのはあるもくろみがあった。中学の女子同級生が立ち上げたという話を人づてに聞いたのである。仲がよかったUコは私と違って足を地に着けて人生を歩んでいるらしく、仕事→結婚→子育て→再度社会で腕試し

とちゃんとした大人になっているらしい。Uコは静かな性格であったが、授業中はきちんとノートをとっているまじめなタイプであった。身だしなみのきちんとしたサラリーマン家庭としての育ちの良さが感じられた。私の母校はかんじのよいお嬢さんが多かった。彼女は筆箱につけた毛虫のキャラクターを「オギノ虫」と呼んでいた。これは私に好意を持っていた証拠なのだ。まあ、そういうことにしておいてください。そんな記憶がよみがえると、35年ぶりの再会が特別なことに思えてきて、薬局があるテナントビルに他の用事でいくと、なんとなく薬局の前に立ち止まり中をのぞき込んだりした。

Uコは遠目には基本的に中学時と大きな変化はなく、スレンダーな体躯に大きな目を患者に向けてなにやら薬の説明をしていた。私に気づいてこちらをみたので私は逃げるようにその場を離れた。薬剤師が知ることになる患者の個人情報について考えるととても恥ずかしい気持ちになる。末期がんがどうのとか、うちの諸問題についてなにも、元かれんな女子中学同級生に告白する必要もない。薬局は別にそのビル内にチェーン店のがあるのだ。だが、レセプト1枚の売り上げ的価値を思うと少しでも協力したいというタニマチ的気持ちもしてFAXしたのである。

店内に入るとUコは(以下次号)

#小椋さん批評して

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