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映画「山歌(さんか)」を観て日本の経済成長を考える

前々から観たい観たいと思っていた映画「山歌(さんか)」をテアトル新宿で観てきました。
この映画は群馬県で開催されている伊参(いさま)スタジオ映画祭の第18回シナリオ大賞で大賞を受賞した作品です(受賞時のタイトルは「黄金」)。このシナリオ大賞は面白いコンクールで「地元中之条町周辺を舞台とした映画化を前提としたシナリオコンペ」であり、さらに大賞を受賞すると作家自身が映画を作れる権利を得るのです。
資金や人員は伊参スタジオ(中之条町役場 観光商工課)がバックアップするようで、ある意味、とても純粋な映画のための映画祭と言えるでしょう(ただし、そのような性格をもつ映画祭ゆえか、年々大きくなる制作規模とともに様々な問題が発生し、2021年の開催は見送られたようです)。

この映画のタイトルは「山歌」ですが、これはある意味当て字で、「サンカ(山の民)」について描かれた映画です。また、サンカという呼称にも今までいろいろな漢字があてられてきました。この映画により「山歌」という新たな漢字が付け加えられることになったわけですが、個人的には今までのどの漢字より、サンカという生き方に敬意を込めたセンスを感じる良い漢字だと思います。

さて、そもそもサンカとはなんでしょうか?
映画パンフレットにはこのように書かれています。

サンカは、地域の共同体から排除されて定住する土地も家もなく、社会の底辺で生きる貧しい漂白民、すなわち、「一所定不住の無宿者」「極貧のさすらい人」「素性の分からない社会的落伍者」--そのように見られていたのである。だが、サンカは、物乞いで生きる浮浪人ではなかった。村から村へ旅をしていく遊芸民ではなかった。汚れた僧衣を身にまとった遊行者でもなかった。もちろん、諸国遍歴の職人や行商人ではなかった。それではサンカは、どのような仕事をしながら、どういう生活様式で暮らしを立てていたのか。手っ取り早く言えば、山野河川で野宿しながら、自然採取を主とした独特の生業で、自分たちの生計を立てていた。定住できる土地もなかったので、家族連れで各地を流浪したが、それぞれが自分たちの「回遊路」と「得意場」を持っていたのである。
(民俗学者の沖浦和光「幻の漂白民・サンカ」(文春文庫 2001年)より)


今の日本では考えられないことですが、かつての日本には山を転々としながら生活を送る人々がいたのです。
私がサンカの存在を知ったのは、是枝和弘監督の映画「誰も知らない」を見たのがきっかけでした。あの映画に出てくる子供たちは、自分勝手に生きる母親のせいで戸籍が取得できておらず、学校にも通えていませんでした。母親は男のもとに行くため何日も家を空けているのは当たり前で、子どもたちは息を潜めてマンションで隠遁生活のような毎日を送り、母親が帰ってくるのを待ちながら、母親から貰ったお金で自活生活を送っています。
そんなことが本当にあるのかと思い調べてみると、思った以上に様々な理由で戸籍を持たない、あるいは持てない子供や大人は、21世紀の今の日本にも存在しているようなのです。
驚きとともに信じられない気持ちでした。
そして更に信じられない人々の存在を知ったのです。それがサンカでした。

かつての日本には戸籍を持たず山を渡り歩いて生活する漂白民がいた。

え? それって民話かなにか? SF? いや、違うのです。どうやら本当にいたのです。民俗学者として有名な柳田国男(1875-1962)は、そのサンカ研究の先駆者でした。明治四十四(1911)年に発表した「イタカ及びサンカ」に下記のようにサンカのことを記しています(文章は読みやすくしています。もしかしたら間違いもあるかもしれませんが申し訳ありません)。

サンカの生活状態については言うべきことが多い。よく知らない人はサンカを乞食の別名のように考える人もいる。大阪その他の市街地には普通の人々に混入して常人の職を営むサンカもいる。または荒野、河原などの不用地において居住を公認され、戸籍に編入される者も段々多くなる傾向にはあるが、特色として農業を好まない気質のため土地との親しみが甚だしく少ない。漂白するサンカに至っては、旅人が少し注意すれば道中にてすぐに遭遇できるであろう。衣類など著しく普通民より不潔であり、眼光は農夫に比べて遥かに鋭く、妻を伴い小児を背負い、大なる風呂敷に二貫目(※一貫目=3.75kg)程度と思われる小荷物を包み、足添えなどは随分甲斐甲斐しいが、さも用事ありげに急ぎ足にて我々とすれ違うことがある。このような人々は大抵がサンカである。彼らはジプシーと異なり決して大群をなさず勤めて目立たぬように移動する。一月二月の仮住まいにおいても小屋の集合すること二戸か三戸に限り、かつその地を選ぶこと巧妙にして、人里近くに築いても、用意周到に人目を避けるように作られる。
例えば京都では東山にサンカが住んでいることは知られているが、その場所を突き止めるのは難しい。また、東京の西の郊外二三里(一里=約3.9km)の内にも多分サンカではないかと思われる漂泊者の小屋があるけれど、警察すらその人数を把握できていない。
サンカは外部からの圧迫がないかぎり、大抵夏冬の二季のみ規則正しく移動を行い、その他の季節はなるべく小屋を変えないで生活しているようである。夏は北方または山の方に、冬はこれに反して南方または海のほうに近づき気候に適応して移動する様は、まるで鳥のようである。彼らが最も好む場所は川岸である。その理由は川に沿って上下移動ができる便利さがあり、水、川魚、川に流れている物を拾える利便性があるためである。川沿いの土地には竹やぶが多く、日陰のある場所も確保でき、彼らの住居となる小屋も簡単に作れるうえ、無料で手工品の原料も入手ができる。彼らの住居は風呂敷を広げてテントにし、油紙を常備してテントに重ね、雨風を凌いでいる。家具としては二三の食器刃物などがあるのみで、その他は至るところで自由に採取調製して用を足している。

明治末期の明治四十四年に柳田国男が記したサンカの生活様式です。この時代でもサンカの実態を掴むのは難しい状態だったことが分かりますし、サンカの数も減っていることが伺えます。しかし、旅にでて、注意さえすれば出会うことができるほどに、サンカは存在していたのです。

この映画「山歌」の舞台は昭和四十(1965)年に設定されています。柳田国男が「イタカ及びサンカ」を著した時期から、五十年以上が経過しています。その間、日本は軍事色を強め太平洋戦争に突入し、敗戦を迎え経済復興し、高度成長期を迎えるまでになりました。本格的に近代化する、まさにその時代です。人々は経済成長の恩恵を受け快適な生活を送るようになりますが、その反面、自然はどんどん破壊されていきます。公害が問題化してくるのもこの時期です。
今の日本の様々な問題に繋がる原点が、この時代にあったとも言えるでしょう。
それはどういう時代かと言うと、我々の生活のために必要なのものは、自然も人もすべて利用しろ、必要ないものはどんどん見捨てろ、そういう時代だったと思うのです。
そのような考えのもと進んだ時代は、果たしてどうなったでしょうか?
今日よりも豊かな生活を目指して我々は幸せになったのでしょうか?
幸せかどうかは置くとして、確実に言えることの一つは、今、世界はあの時代から始まった経済成長のつけを回収しなくてはならない事態に陥っているということだと思います。
先進国の重要課題となっているSDG'S(持続可能な開発目標)はその表れと言えるでしょう。日本も東日本大震災でメルトダウンを起こした原発のゴミの回収という途方もないつけを払わされています。
しかも、日本経済自体、80年代に頂点を極めて以降、凋落の一途を辿っています。その凋落を止め、新たな方向性を示さなくてはならない政府も長期政権による利権政治の膿みにまみれ、狡猾さでしか動けない政治力学しか持ち合わせていないように見えます。それは誰の目にも明らかであるはずなのに、国民はその政府の狡猾さにより、批判したり真実を追求する能力さえすでに奪われてしまっています。
利用し、見捨てた結果が今のこの時代なのです。

この映画はテーマとして「共に、生きろ。」という言葉が掲げられています。最初はこの言葉がなにを意味するのか、よく分かりませんでした。
サンカと共に生きろということなのでしょうか? しかし、もうサンカの人々はいません。では、最近よく言われる絆を大切にし、我々はもっと共に生きなくてはいけないということなのでしょうか? この映画はそんなことは描いていないと思うのです。
映画の時代設定、サンカが生きる大自然、我々が経験したあの時代から続く経済成長と今の日本の姿を考えてみるに、この「共に、生きろ。」とは、1965年頃から続く経済成長において、我々が利用し見捨ててきたものと共に生きろ、というメッセージなのではないかと思うのです。

映画の中で、亡くなったサンカのお婆さんを土に返すシーンが出て来ます。すべては土に帰るのです。無に帰すのです。当たり前と言えば当たり前の発想ですが、日本の経済成長はそれを許しませんでした。経済成長を終えた日本はその残滓、ゴミの処分に頭を抱えています。
経済成長期の端緒で、廃棄までを含めたモノづくりの循環が考慮されていれば、きっと何十万年もゴミとして残る原発を国内に建設するような発想は生まれなかったのではないでしょうか。
当然、その実現にはコストもかかるかもしれません。日本は今のような経済成長を遂げた先進国にはなっていなかったかもしれません。しかし、もっと人にも自然にもやさしい国になっていたのは確かだという気がするのです。
そのような形に今の日本がなっていたとしたらどうでしょう?
きっとサンカもサンカとして生きることができる、今とは違った真の意味で豊かな国になっていたのではないでしょうか。


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