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掌編 人生最初の記憶

 我が家の前は未舗装の細い道が横切っており、その向こうは草木が繁る窪地が広がっていた。窪地は子どもが隠れるくらいの高さに掘られており、五平方メートル単位にニ列に連なっていた。かつては葡萄畑だったが、すでにその役割は終え、荒れ地となっていた。それがかえって子どもたちには、恰好の遊び場となっていたのである。
 私もその窪地が大好きで、親や兄弟と出かけるとき、わざわざその窪地に入り、親や兄弟が未舗装道路を進む速度に合わせて窪地の中を進んだりするのが楽しみだったりした。
 ある日、子どもの私はお金を右手に握りしめ、ひとりで家を出た。お金を持っていたら喜んで家を出そうなものだが、なぜか私は怒っていた。いや、むくれていたと言ったほうがいいかもしれない。家を出ると母の妹の叔母さんが玄関からでてきて「気をつけてね」と心配そうに声をかけてくれた。
 私はいつものとおり窪地に入った。足元は剥きだしの灰色の土が固まり、大きなコブをつくっていた。その脇には木の切り株がいくつか転がっていたりする。注意して歩かないとそれらに足を取られて倒れてしまいそうだ。さらに絡まると抜けだせないような細い枝を持つ無数の草木が生い繁っており、窪地の中を進むのは断念せざるを得なかった。
 自由に窪地の中を歩けない。それが子ども心に悔しかった。私はそこから這い出ると窪地と窪地を分かつ細い土手の上に登った。その瞬間、家をでるときに抱えていたむくれ感と窪地の中を歩けない悔しさが頂点に達し、私は右手に持っていたお金を窪地の中に思い切りなげつけてしまった。
 悲しくなった私は窪地から出て家に帰ろうとした。すると私を呼びかける声がする。半泣きの私に声をかけたのは、近所の肉屋に昼食のコロッケを買いにいった兄弟たちだった。
「お金をおとした」
 そう言うと、兄弟たちはコロッケを家の中に置き、私がなげつけたお金を探し始めた。家を出るとき、声をかけてくれた叔母さんも出てきて一緒に探し始めてくれた。
 私は泣きべそ状態でその様子を見ながら、お金を窪地になげつけたことは黙っておこうと思った。

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