ラストライブ症候群
YouTubeでみたミッシェルガンエレファントのラストライブの世界の終わりの衝撃は忘れられない。
演奏中にギターの弦が切れてしまったアベフトシさんがすぐさまチューニングし直し、切れた弦を使わずにそのまま信じられないギターを弾き続ける。
鬼のような形相で客席の彼方をまっすぐ見つめながら。
そして演奏終了後に、ふっと口元を緩めて『ありがとう』と笑う。
この日から世界の終わりはもしかしたら悪くはないのかもしれないと思うようになった。
僕は高校三年生の終わりまでを石川県の田舎で過ごした。家にあるパソコンは年賀状を作るためだけに存在するようなものでスマートフォンもない時代。
そんな僕はバンドをリアルタイムで追いかけた経験は大学に入って愛知に来るまでなかった。
僕にとってロックバンドはCDかDVDの中にしかいなかった。
あとは高校で受験勉強をしながら聴くラジオだけが僕の情報源だった。
自宅はラジオの電波が届かないので、高校の教室でしか聴けなかった。
兄がどこかで手に入れてきたブルーハーツのライブDVDや、友達に借りたXジャパンのラストライブのRusty Nailをまだ誰も帰ってきていない実家のテレビで再生して震えていた。
その頃から僕はずっとラストライブへの憧れを抱いていた。それこそが人生で1番輝く瞬間だと思っていたからだ。
子どもの頃は延々と朝から晩まで野球をしたり、魚を釣りに行ったりゲームをしたりして大人になりたくないなんか思う暇もなかった。
中学生になって毎週録画してこっそり1人で見ていたドラマの最終回の日は、エンディングのカタルシス(意味あってる?)より今日で終わるというお別れに対して涙が出た。
ゲームも物語が熱いということよりも、4枚組の超大作RPGの最後のディスクを入れる瞬間にシビれていた。
大人になりたくないと思うようになったのは大学生の終わりの頃で、それは言い換えれば社会に出たくないという気持ちだったのだと思う。
大人になりたくないというか、何者でもないこのままお前はおしまいだと言われている気がした。
最高のラストライブがしたいという憧れだけが僕の中に残った。
これを僕はラストライブ症候群と呼ぼうとおもう。
それからラストライブ症候群の僕といえば、最高のラストのために最高の今を積み上げていく。
なんていうのはまったくなくて、
あれでもないこれでもないと不満を言いながらだらだらと日々を過ごしていた。
何かを少し始めてみてはやっぱり違うと言ってやめていた。
結局は一直線に向かうことも、評価にさらされて傷つくことから逃げていたんだと思う。
ラストライブ症候群の僕が探していたのは、手っ取り早くラストライブを味わう方法がないかということだった。
結果そんなものはこの世に存在しなかった。
ラストライブの高揚だけ味わいたいというのは、10秒で10万円稼ぐ方法に『あざます!』とか言って飛びつくようなことだと思う。
僕のはきっとラストライブあこがれ症候群でしかなかった。
ラストライブ症候群ではなく『愛されたい症候群』
本当のラストライブ症候群は『愛する症候群』なんだと思う。