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関わることについて。

コロナ関係の報道も世界中ですでに飽和状態のような感じとなって、『新種株登場!』みたいな報道や、『本日の感染者数!』みたいな報道自体、もう無意味だと思い始めている。

実はここ数ヶ月間、防疫対策において超優秀国なここ台湾でさえも、これまでとはコロナに対する向き合い方が変わってきたように感じ始めている。

というか、もう気づき始めているように感じる。


台湾は毎日の感染者数が少ない時で2,3名から、多い時で40名くらい。

今までだと感染者が1人出ただけでも台湾中が大パニック!!って感じだったし、

正直自分も「え?どこで発生?」


ってまず思ってた。

でも、あの約半年間に及んだド厳格な防疫期間中に失ったものというか、犠牲にしたものが大き過ぎたし、なによりその現実を皆が"実感"したのだと思う。


このソーシャルネットワーク時代に於いて、
人と繋がる事や、繋がりを維持してゆく事がとても容易にできて、離れていても、普段会っていなくても会っているようなそんな気持ちを保つことができる。


でもSNSという世界が自分の生活の中に存在している事によって今までなかったような奇妙な"仕分け"ができてしまったように思う。


それは、

『わざわざ会いたくない人』
『わざわざ会いたい人』


これはあくまで自分の主観なので、
人によってその感情レベルはそれぞれ。


実は先日、自分が使っているSNSの中にいるフォローとフォロワーってのを、
な〜んにも考えずに何気に見ていて、
心の中でこんなことを呟いている自分がいた。



『この人、、、、誰?』

これはけっこう自分の中でハッとしたというか、
自分に対してハッとした。


それと同時にこんなふうにも思った。

「このリスト内で、実際に会って話すくらい親しい人っていったい何人おんねんやろ…?」

そう思って、
3000人くらいいるリストを、、


ブワァーーーーー!!ってスクロールして見た。



結果。



ザッと見た結果。



ま、


ええとこ50人。笑



ほんまに何回数えてもええとこ3000人中50人ほどで、
ちょっとワロタ。(多いほうかも。)


もちろんそれ以外の人がほとんどを占めているのは自分の職業柄当然の事っちゃ当然の事なのかもしれない。


でも、SNSを始めてからは、
この、

『会ったこともない人たち』

そう、、
この会ったことも、
話したこともない人たちから
日頃パワーをいただいたり、励ましてもらったり、
実際に会ってなくても、会ったことがあるような親近感を持たせてもらっている。


もちろん怖い事とかも無い訳ではない。


でも自分の場合は幸いにも日々の中で前向きに感じさせてもらえる機会のほうが多いように思う。


でもその反面もう一つ感じた事がある。


それは、


一時すごく親しかったのに、
すっかり親しくなくなってしまった人

が、いるという事。


まぁ、これは厳密に言うと、
仲が悪くなってしまったというより、
このSNSってものがある事で、
自然とその人と会う機会が減ってしまい距離ができてしまった。
って感じなのかもしれない。


ま、でもこれは少なからずコロナの関係も大きく影響していて、致し方ない部分もある。


だから別に気に留めたりする必要はない気もする。


それに冒頭でも少し書いたけど、
もうここ最近、コロナだから◯◯できない、
コロナだから◯◯しない。

ってことの意識レベルが確実に緩み始めてるし、
これは別に悪いことでなくて、
ま、そりゃそうなるわな。

って正直思っている。


そう、つまり、
この世界にコロナが存在してようが、
また会って話しゃいい。ってふうにも思える。

(ま、これが距離を作るきっかけになってるのも確かやが)

でも、そんな中で、ごく稀に


"なぜこの人と繋がってる?"



ってのもある。


これはどうゆう事かと言うと、、


自分には以前すごく親しくしていた方がいて、
その方は自分のほうから歩み寄って関係が深まっていった。みたいな関係の人やったんですが、

ある頃から、少しずつ少しずつ

あれ…?
アレ…?
A・RE…?


そう感じる機会が増えはじめ、
「これ以上深めてはいけないかも…」
という経験上の本能が作動し、
いつの間にかこちらから距離を置くようになった。

そして気がつくと会わないどころか、
このSNS上でさえも連絡を取らなくなってしまった方もいる。


これは特にSNSに関わらず、日々の生活の中でも充分にあり得る事なんですが、最近はその方からフォローを外されていて奇妙な気持ちになった。

なんというか、、

こちらからフォローを外す覚えはあっても、
向こうから外される覚えは全くない。笑


と正直感じたし、おまけに自分と関わって築く事ができたはずの人達までもほぼ完全にフォローを外していたのが分かって、
ここでは内容はもちろん言わないが、
というか内容が内容なだけに伏せときますが、

なんかその人的にいろいろ都合悪くなっちゃったんやろうなぁー。まぁ、そらそうかー。
あんな事やそんな事してたらそら今後顔合わせられへんわなぁー。
こちらからもそっとフォローを外しといてあげたほうが…


って思いながら、
別にこちらから関わらなければそれでOKなのと、
こちらが気を使う必要は全くなく、
相手自らがやらかしたにも関わらず、
勝手に気にしてるだけの事なので、
わざわざ外すことはせず、

敢えてそのまま置いておこう。笑


そんな人も中にはいる。


今回何が言いたかったかと言うと、


本当に関わるべきものは、

"どんな状況に於いても自ら関わりに行っている。"

ということ。


もうそれが自分の今の全てを表していると思っても良いと思う。


つまり、今関わってること、
自分に関わってくれている人が、
自分の財産であり、自分という人間を表してくれていると思っている。

類は類を呼ぶ。ではないが、
『そうゆうとこ、やまげんの友人らしいな。』


そんな仲間をこれからたくさん自分の人生の中に残してゆけるように、
まずは自分をもっと磨いてゆきたいし、
人を大事にしてゆきたいし、
自分らしくありたい。

だから今、自分に関わってくれている人を
厳しい優しいに関わらず、
大切にしなければいけないと改めて思う。


そして日頃からしっかりそんな人たちに恩返ししていこう。

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