今、この業界に思うこと
いつも、ことが動き出すのは何かが起きてしまったあとだ。
ここ数日映画やテレビの業界にまつわる様々な告発を見ながら、その現実に落胆しつつ、もう落胆しているだけではいられないと思った。
これからもたくさんの女の子たちがこの業界を夢見て、飛び込んで、そしていつかどこかで嫌な思いをするだろう。
そのことにもう耐えられないし、耐えたくもない。
いち俳優・作り手として、どちらもまだまだ未熟だが、今後の自分やその後の世代のために微力でも意志を示したい。
あらゆる暴力やハラスメントは、たとえ芸術やエンターテイメントの皮をかぶっても、決して許されるものではない。
多くの子たちが10代で(もしくはもっと前から)この世界に入り、夢や憧れを持って歩んでいく。私もそのひとりだ。
10代のころなんて長い契約書を見てもよくわからないし、それより夢の世界に飛び込んだ期待や不安でいっぱいで、とにかく目の前のことを頑張ろうという気持ちだった。
だから若さやステータスが消費されることに違和感があっても夢のために笑えたし、特権的な立場の人との関わりで不快感を覚えても自分を守るために笑った。
あらゆる違和感や不快感と自分の夢とを天秤にかけて、いつも夢の方を優先していた。
しかし積もり積もった違和感や不快感は次第に重みを増し、ついに天秤からあふれ手に負えなくなる。
その瞬間、なかったことにしていた嫌な記憶が知らず知らずのうちに自分を蝕んでいたことや、どうすることもできなかった自分の無力さに気づき、後悔に苛まれる。
しかし時はすでに遅く、過去のことは流れてあやふやになっているし、よくわからずに結んでしまった契約も容易には動かせない。
これは私に限った話ではなく、本当によく耳にすることだ。
被害というのは受けた本人もそれを受容するまでに時間がかかる。
特に10代〜20代前半の不安定な時期に起きたことは、当時は「なんてことない」と思い込んでも、5年、10年と経つうちにじわじわと「やっぱりあれはおかしかった」と客観的に思えるようになったりする。
しかしその間も加害した側は変わらず地位を守りながら社会生活を続けていて、もはや加害の記憶や意識すらないだろう。
そういうふうに時の流れに許されながら、暴力やハラスメントの構造は続いていく。
傷ついた人ばかりが、それを抱え続けるしかないのか。
そんなわけない。
この構造は変えられるし、それをやるべきは週刊誌でなく内部の大人たちだ。
若い子が契約を結ぶとき、その子の立場に寄り添える大人がそばにいて、その子自身に選択の余地を与えること。
嫌なことを「NO」と言える関係性や環境づくりにつとめること。
ハラスメント体質な人を黙認して仕事を続けないこと。
傷ついた人の声を聞き、表面的ではなく根本的な解決に努めること。
小さなことからでも、事務所や現場で変えていけることはたくさんある。
ひとつ補足しておきたいのは、この業界には真摯に人や作品と向き合っている人もたくさんいるということだ。
私の今現在の契約も、ある程度分別がついてから結んだものなので、こちらの意向を伝えて汲み取ってもらっている。
衣装合わせの時には女性のマネージャーさんが付いてくださり、きわどい点があればちゃんと指摘してくれている。
肌の露出がある作品には話しやすい女性のプロデューサーさんが入っていて、現場が始まる前から「何かあればいつでも言ってください」と声をかけてくれている。
そういう人たちひとりひとりがこの業界の希望だし、少しずつでも一緒に変えていけたらと願っている。
夢を与えるこの業界の、あまりに夢のない現状にさよならを。
私は尊重しあえる関係性の中で生まれる素晴らしい作品の数々を、俳優・作り手として望み続ける。